三菱MRJの生き残る道(1) ファンボロー航空ショーでデモフライト後、お粗末な記者会見

2018年7月18日 21:54

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MRJ(写真: 三菱航空機)

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 三菱リージョナルジェット(MRJ)が苦戦している。2018年7月イギリスのファンボロー航空ショーでデモフライトが行われた。MRJにとって初のお披露目となったわけだが、現状窮地にあると言ってよいだろう。理由はいくつかある。最大の原因は開発の遅れ。2013年には航空機会社に納入され始める予定だったが、型式証明獲得に遅れが出て2020年には納入開始と言われている。

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 私が、MRJに人並み以上に関心があるのには理由がある。YS-11を製造販売していた日本航空機製造の社員であった経緯があるからだ。当時の関係者としては最年少の部類だろうし、中心的役割も担っていないチンピラだった。入社した当時は、YS-11の生産を終了させることが決まりつつある時だった。

 生産中止と共にY-X、Y-XX事業団を設立して、次期国産旅客機を開発する予定もあった。しかし、YS-11は販売に失敗し180機ほどで打ち切られたのだ。現在、「リージョナルジェット(RJ)と呼ばれるようになった小型旅客機の分野では、当時ダグラスDC3が圧倒的なシェアを持っていた。各国はその後継機を狙ってシェア争いが激しく行われていたのだった。

■営業は官僚的市場予測

 航研機(1938年世界一周飛行記録)の木村秀政(当時)日大教授を主任研究員として開発されたのがYS-11だった。DC-3の後継機としては十分なほどの性能と思われたのだが、時代は短距離でもジェット化であり、120席ほどのボーイング727、ダグラスDC-9などによって、YS-11は幹線からは締め出されてしまった。

 半世紀前の当時、営業の最前線にいた責任者から説明を受けたことがある。「我々はORを使って市場を掴み予測を立てた」と、自慢話として聞いたように感じた。そのころ松下通信にいた唐津一氏からORについて教わっていたので、私は「これはMRではないか」と感じた。「座席数で市場を予測する」方法だった。しかし、市場規模は予測できても、実際の営業努力で注文が取れるのか否かは決まる。市場規模予測をORとしたことに、当時の官僚的姿勢が読み取れる。

 先日、ファンボローエアーショーで、三菱リージョナルジェット(MRJ)がデモフライトを終えた時、三菱重工の宮永俊一社長に記者団が詰め寄る一幕があったそうだ。それは、パビリオン前で記者会見を開こうとした会社側に対して、せっかく今飛んだばかりのMRJがあるのだから機体の前で会見を開けないのか?と記者団のほうが希望したのだ。せっかく宣伝するチャンスなのに、またしても「良いものを造れば、売れる」としてしまう三菱重工の姿勢が垣間見えている。

 YS-11の時には日本航空機製造は資本構成も「半官半民」の会社で、官僚的なのは致し方がなかったとする声も聴いた。しかし、YS-11は商売に失敗したのだ。MRJも同じ道を歩んでいるとしか思えない。商売はユーザーの立場でものを見なければ何もできない。三菱重工の体質は、現在も半世紀前と変わらないのであろうか?

■航空機の商売は政治力

 航空機の型式証明取得も難儀なのだが、アメリカの政治状況もRJ機運航の足かせになってきた。アメリカの「スコープ・クローズ」とは、大手航空会社とパイロット組合の間の協定だ。幹線航路は大手航空会社が運航し、地域路線は地域航空会社に委託するのが慣例である。地域航空会社が幹線航路に進出するのを抑えるため、パイロット組合との協定でRJ機の座席数などを制限しているのだ。MRJ90などは、この協定が緩和されるものとして開発が進められてきた。しかし、緩和が遅れているのだ。

 ボンバルディアなど競合会社は組合と交渉に入っており、三菱重工は蚊帳の外だ。アメリカで商売するには、航空機の世界では政治力も必要だ。いや、どんな商売でもその国の政治力は必要になってしまう。その例をY-X事業団で半世紀前、私は見てしまったのだ。

次は、Y-X事業団のてん末を現場から証言しよう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

続きは: 三菱MRJの生き残る道(2) アメリカの政治圧力に屈したY-X事業団

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