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三菱スペースジェット飛行試験機・10号機(画像: 三菱航空機の発表資料より)[写真拡大]
三菱航空機・スペースジェット(旧MRJ)が窮地に追い込まれている。これまでのところ旅客機開発にボーイングなどの介入は見られず、国際競争にさらされているだけと見える。戦後YS-11など「日本の翼」が置かれた立場から見れば、窮地に追い込まれた現在でも、自由に活動できると言う意味では大変幸せなことだ。
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YS-11は、1959年6月1日に設立された日本航空機製造(日航製)が作っていたとされているが、そこまでに至る経緯は戦後の復興の歴史であり、私も資料を読むしかない。日航製は設計開発、販売、補給部品などの業務を行い、生産は国内重工各社が担当する、資本構成でも半官・半民の国策会社であった。組み立ては、スペースジェットの三菱重工が行った。
■ハンコが純国産の証
そのため、私がYS-11の構造などの訓練を受けたのも三菱重工だった。その時、ようやくノックダウン生産が始まった航空自衛隊向けマクドネルF4Jファントムの組み立ても、三菱重工内で始まっており、胴体と翼を繋ぐ大きな部品がジュラルミン一体鋳造であると聞いてびっくりしたものだ。当時、これほどの大型精密鋳造は日本では出来ないものだった。組み立て中の機体のコックピットをのぞき込んだら、怒られた思い出がある。防衛機密であったので、無謀な行為だったのだ。
YS-11の、組み立てられたボルト1本1本に組立工のハンコ(印鑑)が押されていたのは印象に残っている。それが日本だけであろうと思うのは、印鑑文化は日本独特のものだからだ。ファントムの組立工は全て英語で作業していたはずなので、YS-11が純国産である証として記憶に残った。
■設計変更が当たり前の航空機開発
日航製は民間機の設計だけの企業であり、本来軍用機にはタッチしていないはずだが、実際には航空自衛隊C-1輸送機は日航製の設計だった。
当時の先輩設計士は、STOL(短距離離着陸)性能の高い、特徴あるファウラーフラップを設計した。だが初飛行試験の時、滑走を始めた輸送機を見送りながら、何気なく計算尺で一部の部品の強度計算をし直したところ、1桁間違っていたことに気付いたが、言い出せずに着陸するまで固まってしまったと言っていた。無事に初飛行は済ませたようだが、そういえば、しばらくフラップは固定して試験飛行をしていたと記憶する。
YS-11のコックピット付近を設計した先輩は、コックピット天井側のスイッチ類の奥行きを考えずに、空力だけを考えて設計していた。そのため、後に内部の設計をしたところ、スイッチを取り付ける分の天井高が足りなくなり、仕方なく前面風防を立てたそうだ。そういえば、YS-11の機首部は「おでこ」が出ているような感じがするが、それは後で仕方なく風防を立てたのが理由だった。
この話には後日談があり、あまりに前面風防が立っているため、雨水が流れないので困ったそうだ。そこで、当時ボーイング社が特許を持っていたシリコン散布の技術を買い、その欠点をクリアしたのだそうだ。現在、車の雨滴処理に効果が見られるとして販売されているシリコン散布のことであろう。
(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
関連キーワード三菱重工業、MRJ(三菱リージョナルジェット)、三菱航空機、スペースジェット
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