AIで幻と消えるBMW・「M」の世界(下) マツダ3、トヨタ・スープラ、BMW・Z4の世界へ

2019年4月23日 09:22

印刷

BMW Z4(画像: ビー・エム・ダブリューの発表資料より)

BMW Z4(画像: ビー・エム・ダブリューの発表資料より)[写真拡大]

■「排気音だけが頼り」の世界

 子どものころ親父に模型のエンジンを買ってもらい、手製のエンジンマウントを作り、指を切り落とすほどの大けがの危険があるのも顧みず、プロペラを手で回し始動していた。さらに回るプロペラに触れそうになるほど近くにある「ニードル」を指で絞り込み、最高回転に持ち込むのだが、エンジン回転数を把握するのは全て「音」頼りだった。マフラーなど使わず、隣近所で会話ができなくなるほどの(現在の暴走族よりひどい)爆音を響かせても、酔いしれるほどの快感であったことがしのばれる。エキゾーストノートとは、そうした「麻薬」のような陶酔を感じさせてくれるのだ。「排気音」と言うよりは「爆発音」をじかに聞いていたことになるのだろう。

【前回は】AIで幻と消えるBMW・「M」の世界(上) 高回転型エンジンの魅惑

 しかし、現在のBMW「M」に、音でエンジンの調子を測るなどの必要はなくなった。ただただ、アクセルとブレーキ、それにハンドルの操作だけで、かなりの幅広い人が「速く」走れるのだ。箱根のワインディングロードを走る快感を味わうぐらいは、誰でもできるのだ。確かに、「M」の爽快感を容易に味わうことが出来るようになった。しかしそれは同時に、「操縦する」楽しみを持てなくなったことでもある。

■自動運転の世界へ

 マツダ・CX-5に試乗した時、直角カーブで急ハンドルを切ると同時に、思いっきりアクセルを床まで踏み込んだ。FF主体と聞く4輪駆動でどの様な挙動になるのか、FRのようにリアが流れる状態になるのを予想し、カウンターステアの用意をして待ち構えていたのだが、クルマはタイヤスピンも起こさなかった。多少のロールを伴ったが、何事もなかったように直角に向きを変えると、猛然と加速を始めた。何事も起きない挙動の正常さは、「見事」としか言えなかった。しかし「寂しさ」が残ったのは確かだった。

 BMWトレーニングスクールに参加した時、一昔前のBMW・325で、スキッドコントロールを切り、ドリフトで360度、旋回する練習をさせてくれた。FRのアクセルコントロールとカウンターステアの練習だった。ローギアーではなく、2速固定であったのでかなりのスピードでもあった。自分で運転しながら目が回り、吐き気がしてきた。

 現在では、もうこんな訓練は必要がなくなっている。新型のトヨタ・スープラのアクティブディファレンシャルは、直進時を含め完璧に車を限界までコントロールしてくれる。それが次世代のマツダ3、トヨタ・スープラ、BMW・Z4の世界なのだ。その先がどうだか知らないが、逆に「全くつまらなくなった」と言えるのかもしれない。AI自動運転が普通になったとき、エンジンの存在があったことも忘れ去られるのであろう。

 ともかく、「排気音」だけでエンジンの調子を察知する必要性があった時代を、それを「古代の異物」にしてしまった技術革新を、携わってきた技術者への敬意と共に賛美しよう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

関連キーワード

関連記事