三菱航空機が「MRJ」から、「三菱スペースジェット」に転換するワケ(3-2)

2019年6月20日 20:11

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 5度に渡る納期の繰り延べを行いながらも、18年にイギリスのロンドンで開催された世界最大級の航空展示会「ファンボロー国際航空ショー」で、「フライトディスプレー(飛行展示)」を初めて実施し、実際に飛行して性能のアビールを行った。この時点では、次に型式証明を獲得するための飛行試験を行い、20年代の半ばには第1号顧客(ローンチカスタマー)であるANAへの納入を開始し、オリンピックで沸く日本の空に色取りを添える予定だった。

【前回は】三菱航空機が「MRJ」から、「三菱スペースジェット」に転換するワケ(3-1)

 ANAがMRJを飛行させるためには、飛行路線を決定してパイロットの養成や予約システムの設定を行う必要があり、最低でも1年間の準備期間が必要と言われている。東京五輪の空に舞うためには、19年の半ばには納入時期が確定していなければならい。

 納入時期の確定が迫るこの時期に、三菱航空機はMRJの戦略を大幅に見直す。90座席の現行モデルに加えて70座席級の小型新機種を開発し、米国で受注している航空会社に選択の幅を提供する。三菱航空機と一部の顧客間では、90座席級と70座席級の選択が可能な契約になっているようだが、実際には契約の内容に拘わらず新機種への変更に応じる構えだ。

 クローズ・スコープの呪縛から解放される新機種であれば、航空会社が当初計画通りの機数を導入することが期待できる。反面、新機種の納入時期は22年~23年が見込まれており、新型機種の開発計画が遅滞することなく順調に進んだとしても、販売収入を計上する時期は現行モデルの場合と比べて数年遅れということになる。

 対外的に公表していなくともクローズ・スコープへの危機感は社内で認識されていただろうが、MRJの納期が5度に渡って繰り延べされていた状況を考慮すると、中途半端な状態で新たな対応を公表することに抵抗があったことは容易に想像できる。MRJの開発から蓄積してきた知見を活用して、既にある時期から70座席級の小型新機種の実質的な開発も並行して進んでいただろう。

 いよいよ目鼻が付いたこの時期に発表したことを考えると、三菱航空機が開発を発表したばかりの70座席級の新機種を「スペースジェットM100 」と呼称して主力機種と位置付け、90座席の旧MRJモデルの呼称を「スペースジェットM90」に変更して、2機体を「三菱スペースジェット」という括りに組み込むという唐突感は和らぐ。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る

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