「Dunesday」で激突する『アベンジャーズ』と『デューン』、予知・分岐世界・記憶を科学で読み解く

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2026年12月18日、北米では『アベンジャーズ:ドゥームズデイ』とドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『デューン:パート3』が同日公開される予定だ。ファンから「Dunesday」と呼ばれるこの競合は、興行面だけでなく、予知や分岐世界、記憶、個人の同一性といったSFの古典的な問いを、異なる方向から描く2作品が並ぶ点でも興味深い。
両作品の物語が数学や物理学の理論をそのまま映像化しているわけではない。だが、自らも参加する世界を完全に把握しようとする知性の限界や、同じ起点から異なる歴史が生まれる構造には、ゲーデルの不完全性定理、カオス理論、量子力学の多世界解釈、個人の同一性をめぐる哲学と重ねて考えられる部分がある。
■12月18日に競合する2本のSF大作
『デューン:パート3』は、フランク・ハーバートが1969年に発表したシリーズ第2作『デューン 砂漠の救世主』を基に、皇帝となったポール・アトレイデスの統治と、その予知能力をめぐる葛藤を描く。『アベンジャーズ:ドゥームズデイ』では、ロバート・ダウニー・Jrがトニー・スタークではなくヴィクター・フォン・ドゥーム役としてMCUに戻り、アベンジャーズ、ファンタスティック・フォー、X-MENなど複数の世界の登場人物が集結する。
『アベンジャーズ:ドゥームズデイ』を監督するジョー・ルッソとアンソニー・ルッソは、完成版の脚本がない状態で撮影を始めたと説明している。ジョー・ルッソは脚本を「生き物」と表現し、俳優とのリハーサルや即興を通じて内容を発展させる制作手法を採ったという。
この制作方法そのものを数学理論と結びつける必要はないが、あらかじめ固定された設計だけでなく、参加者の反応を取り込みながら作品を組み立てる点は、複雑なシステムが内部の相互作用によって変化していく姿を連想させる。
■「Dunesday」はバーベンハイマーと何が違うのか
『デューン:パート3』と『アベンジャーズ:ドゥームズデイ』の公開日競合は、2023年の『バービー』と『オッペンハイマー』になぞらえられている。しかし、2つの現象には大きな違いがある。
『バービー』と『オッペンハイマー』は、作品の色調、ジャンル、中心となる観客層が大きく異なり、その対照性自体が同日鑑賞を促す文化的なイベントになった。最終的な世界興行収入は『バービー』が約14億4700万ドル、『オッペンハイマー』が約9億7600万ドルに達し、合計では約24億ドルとなった。
これに対して「Dunesday」の2作品は、長期シリーズの知識をある程度求める大規模なSF映画であり、プレミアム上映を好む観客層も重なりやすい。両作品を続けて見る動きが生まれる可能性がある一方、公開初期には上映スクリーンや観客の時間を直接奪い合う関係にもなる。
『デューン:パート3』は、北米で12月14日から一部劇場におけるIMAX 70mmの先行上映が予定されている。IMAX上映でも優位な期間が見込まれるため、同作はヴィルヌーヴ作品の映像体験を重視する観客に訴求できる。一方、『アベンジャーズ:ドゥームズデイ』には、複数のMCU作品と登場人物を結びつけるシリーズ映画としての集客力がある。
■ハイトの肉体と記憶を科学から考える
『デューン 砂漠の救世主』には、死亡したダンカン・アイダホを基にトレイラックス人が作った「ゴーラ」のハイトが登場する。ハイトはアイダホと同じ外見を持つが、当初は生前の記憶を保持していない。この設定は、身体を複製する技術と、経験や人格を再現する仕組みを分けて考える手掛かりになる。
体細胞核移植は、体細胞の核を、核を除いた卵細胞へ移し、初期胚の発生を促す技術である。1996年に誕生した羊のドリーは、成体の体細胞核を利用して生まれた最初の哺乳類となった。2018年には、胎児由来の細胞を用いた体細胞核移植によってカニクイザルが誕生している。
これらの成果が示したのは、分化した細胞の核に含まれる遺伝情報を、個体の発生に利用できる場合があるということだ。一方、クローンとして生まれるのは新たな個体であり、成体の身体が直ちに再製造されるわけではない。発生効率の低さや核の再プログラムに伴う異常も、動物クローンで引き続き大きな課題となっている。
さらに、遺伝的に近い身体を作ることと、元の人物の記憶や人格を再現することは別の問題である。2018年に発表されたUCLAの研究では、長期感作の訓練を受けたアメフラシの中枢神経系からRNAを抽出し、未訓練の個体へ注入すると、防御反射の感作に似た行動変化が生じた。RNAによる変化にはDNAメチル化が関与し、感覚ニューロンの興奮性にも変化が確認された。
この実験で扱われたのは、単純な非連合学習に伴う感作である。エピソードや人物関係を含む自伝的記憶の移植を示したものではない。それでも、経験によって変化した生体内の情報が、RNAや遺伝子発現の調節を通じて神経系に影響するという点は、ハイトの記憶回復を読み解く興味深い補助線になる。
■ポールの予知が作り出す自己言及
『デューン 砂漠の救世主』で重要なのは、ポールが未来を見るだけでなく、見た未来に基づいて行動する人物でもあることだ。予知によって選択した行動が次の状況を作り、その状況が再び予知の対象となる。観察者と予測対象を切り離せない循環構造が、ポールを自由にするどころか、特定の道へ縛りつけていく。
この構造を考える際、ゲーデルの不完全性定理は一つの比喩になる。同定理は、自然数の算術を表現できる無矛盾で効果的に公理化された形式体系には、その体系内で証明も反証もできない命題が存在することを示す。さらに、そのような体系は一定の条件下で、自らの無矛盾性を体系内部から証明できない。
ゲーデルの定理は予知能力や物理的宇宙を直接扱うものではないため、ポールの能力にそのまま適用することはできない。それでも、自分自身を含む仕組みを内側から完全に記述しようとすると限界が生じるという発想は、予知する者自身の行動によって未来が変わる『デューン』の物語と響き合う。
カオス理論も別の補助線を与える。カオス的な系では、初期条件のわずかな違いが時間とともに拡大するため、法則が決定論的であっても長期予測には限界がある。多数の人間が互いの判断に反応する社会では、未来についての予測が公表されること自体も行動を変える入力となる。
ポールの苦境は、情報が不足しているからだけではない。未来を知ったという確信が本人と周囲の人々の選択を狭め、その未来を形作る力として働く。予知が未来を映す鏡であると同時に、未来へ介入する装置にもなるところに、『デューン 砂漠の救世主』の政治的、心理的な緊張がある。
■エドリックが予知の死角を作る仕組み
ポールに対する陰謀には、宇宙ギルドのナビゲーターであるエドリックが加わる。エドリックも予知能力を備えており、その存在によって陰謀に関するポールの視界が曇る。より強い予知能力を力で上回るのではなく、別の予測者をシステムに加えることで不確実性を生み出す構造だ。
ここから連想できるのが、情報を開示せずに条件を満たしていることを示すゼロ知識証明である。ゼロ知識証明では、証明者は秘密そのものを明らかにせず、ある命題が真であることを検証者に納得させる。シャフィ・ゴールドワッサー、シルビオ・ミカリ、チャールズ・ラッコフが1980年代に築いたこの理論は、現在の暗号技術に大きな影響を与えている。
エドリックの予知とゼロ知識証明は同一の仕組みではない。しかし、出来事が進行している一方で、外部の観察者には内容を復元するための情報が渡らないという構造には共通点がある。数値的な強さだけでは決まらず、誰が何を観測できるかという情報の配置が勝敗を左右する点が重要だ。
敵対的機械学習にも通じる発想がある。機械学習モデルでは、人間には小さく見える入力の変化によって、分類結果が大きく変わる場合がある。エドリックはポールより広い未来を見通すのではなく、ポールの予測が確信を持てない領域を作る。この描写は、高性能な知的システムにも、入力や観測条件によって生じる死角があることを考える手掛かりになる。
■アリアと世代を越えて伝わる情報
ポールの妹アリア・アトレイデスは、母ジェシカが妊娠中に「命の水」を摂取したことで、出生前から意識と祖先の記憶を持つ「プレボーン」として描かれる。祖先の経験が人格を伴って現れる設定は、遺伝情報だけではなく、過去の世代が得た情報がどこまで子孫へ伝わり得るかという問いを投げかける。
現実の生物学では、DNAの塩基配列を変えずに遺伝子の働きを調節するエピジェネティックな仕組みが研究されている。線虫では、低分子RNAが関係する遺伝子発現や行動への影響が複数世代に伝わる例が報告されている。病原性細菌を避ける学習反応が子孫にも現れるという研究もあり、その再現条件をめぐる検討が続いている。
こうして伝わるのは、特定の人物がいつ何を見たかという自伝的記憶ではなく、遺伝子発現、ストレス応答、感覚刺激への反応といった情報である。それでも、過去の環境への反応が次世代の行動へ影響する可能性は、アリアの祖先記憶を、生物が世代を越えて情報を受け渡すという広い視点から考える材料になる。
アリアの物語では、膨大な記憶を持つことがそのまま知恵になるわけではない。複数の声を整理し、現在の自分の判断として統合できるかが問題となる。これは、情報量の多さだけでなく、必要な情報を選び、文脈へ組み込み、不要な情報を抑制する能力が知性に欠かせないことを示す人物描写でもある。
■MCUの分岐世界に重ねられる物理学
MCUは『アベンジャーズ/エンドゲーム』以降、時間移動によって過去を直接書き換えるのではなく、別の時間軸が生まれるという設定を展開してきた。さらに『ロキ』や『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』では、複数の時間軸や宇宙が物語上の移動可能な世界として描かれている。
この映像表現にイメージを重ねられるのが、ヒュー・エヴェレットが1957年に提案した量子力学の相対状態形式と、それを基に発展した多世界解釈である。多世界解釈では、波動関数の収縮を仮定せず、量子測定で取り得る結果が異なる枝として実現すると考える。
MCUのマルチバースは、登場人物が世界間を移動し、異なる世界同士が衝突する独自の物語設定であり、多世界解釈を忠実に映像化したものではない。両者に通じるのは、一つの選択や出来事から複数の歴史が分岐し、それぞれの結果が存在するという発想だ。
一方、ノヴィコフの自己無撞着原理は、閉じた時間的曲線を含む時空であっても、実際に起きる出来事は全体として矛盾しないという考え方である。過去への介入を最初から歴史の一部として捉えるこの原理と、介入のたびに別の時間軸が生じる物語モデルでは、時間移動の扱いが異なる。
『アベンジャーズ:ドゥームズデイ』がこうした理論の対立を物語上どこまで扱うかは、公開前の段階では断定できない。それでも、異なる宇宙の登場人物を一つの映画へ集める構成は、分岐した歴史をどのように共存させ、誰の世界を守るのかという問いへつながる。
■ロバート・ダウニー・Jrの再登場と個人の同一性
ロバート・ダウニー・Jrは、MCUで長年演じたトニー・スタークではなく、ヴィクター・フォン・ドゥームという別の役で復帰する。マーベルは両者が同一人物やバリアントであるとは発表していないため、ドゥームを「別世界のトニー・スターク」と決めつけることはできない。
それでも、観客がトニー・スタークの姿や記憶と結びつけてきた俳優を別人物として配置する演出は、個人の同一性をめぐる問いを自然に生み出す。外見が同じであっても、記憶、信念、経験、他者との関係が異なれば、その人物を同じ存在と呼べるのかという問題だ。
哲学者デレク・パーフィットは、著書『理由と人格』で、複製や分岐を通じて生じる人物の同一性を検討した。パーフィットは、単一で不変の「同じ人物」であることよりも、記憶や意図、性格などの心理的な連続性と結びつきが重要ではないかと論じている。
MCUのキャスティングは、パーフィットの議論を直接基にしたものと確認されているわけではない。だが、同じ顔を持つヒーローと悪役を観客がどう区別するのかという点で、外見、記憶、経験のうち何が人物を人物たらしめるのかを考える補助線になる。
■2作品に共通する「完全には見通せない世界」
『デューン:パート3』と『アベンジャーズ:ドゥームズデイ』を結びつけるのは、特定の数学理論を共有しているという制作上の事実ではない。自分が参加する世界の全体像を理解し、未来を制御しようとする人物を描く点に、共通する構造がある。
ポールは未来を見る能力によって、自らの選択が生み出す未来から逃れにくくなる。MCUのヒーローたちは、過去への介入や宇宙間の移動によって増えた複数の歴史と向き合う。どちらも、より多くの情報や力を得れば世界を完全に管理できるとは限らないことを物語にしている。
ゲーデルの不完全性定理、カオス理論、多世界解釈、エピジェネティクス、個人の同一性をめぐる哲学は、両作品の設定を証明する理論ではない。しかし、予知、記憶、分岐、自己認識というテーマがどのような問題を含んでいるかを考え、人物の選択や映像表現をより深く味わうための手掛かりになる。
同じ日に公開される2作品が興行面でどのような結果を残すかはまだ分からない。「Dunesday」の面白さは勝敗だけでなく、現代を代表する2つのSFシリーズが、制御できない未来と不完全な知性をそれぞれどのように描くかにある。
元記事: Dunesday Decoded: Both December 18 Films Built on Gödel Incompleteness Math
※この記事はTech Timesから提供を受けた記事を日本向けに翻訳・編集したものです。
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