ホンダはレームダック (1) 本田宗一郎「失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」

2020年1月13日 06:28

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 『チャレンジして失敗を恐れるよりも、 何もしないことを恐れろ』。ホンダ(本田技研工業)の創業者、本田宗一郎の言葉だ。現在、ホンダは四輪部門では利益が出なくなっている。つまり「造っても儲からない」ということだ。

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 ホンダと言えば「特別なクルマを造る会社」と見られてきた。言い換えれば「商品力の高いクルマ」を造るのだ。また、最近ではビジネスジェット機で好成績を残している。これも、本田宗一郎が生前チャレンジすると言い残した部門だ。

 最近のホンダのクルマでは、強い商品力を感じるものがなくなった。かつて四輪部門に進出した頃には、軽四輪自動車の「N-360」があった。スポーツカーではホンダ・S500、600、800。普通車ではホンダ・1300セダン、クーペがある。かなりクセのある商品だった。

 排気ガス規制が始まった頃には、ホンダ・シビックCVCCで世界を驚かせた。アメリカのビッグ3、トヨタ、日産など世界の大自動車企業が、カルフォルニア排気ガス規制に反対する中、触媒を使わずして当時の規制をクリアして見せたのだった。

 そのCVCCエンジン開発の時、「ケツ拭きになるな!」と宗一郎は毎朝研究所に姿を現し、その辺の板切れなどにアイデアをフリーハンドで描いて見せた。それを図面化して試作してテストする毎日だったと、当時の技術者が懐古している。

 宗一郎は図面が書けなかったし読めなかったと言われる。しかしその知見は、誰もかなわないほどだったと言われる。

 宗一郎は後任の社長を息子に継がせず、「実力がある者が継げばよい」と「河島喜好(当時45歳)」を社長の座に付けた。器量の大きな人物だった。しかし現在、技術に夢を抱いて入社した若者が、研究所勤務の「好待遇」を捨てて3年ほどで退社してしまっている。それを知ることが出来るブログが、「チャレンジして失敗を恐れるよりも、 何もしないことを恐れろ」だ。

 この若者のホンダ退社について、「3年ほどしかいなかったものが言う資格はない」と受け止めるのは浅はかだ。この若者が感じていた「ホンダへのあこがれ」が、「ホンダのビジネスモデル」なのだ。「強烈な商品力で他を圧倒する」、このポイントを壊しては今のホンダは再生しない。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

続きは: ホンダはレームダック (2) 「資金効率は商品力が決める」

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