1945年のペニシリン製造許可申請書が未来技術遺産に登録

2019年10月8日 17:02

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登録証と記念盾。(画像:Meiji Seikaファルマ発表資料より)

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  • 碧素製造許可申請書。(画像:Meiji Seikaファルマ発表資料より)

 第2次世界大戦末期、日本は当時困難であったペニシリンの量産に成功していた。Meiji Seikaファルマは、同社の前身である明治産業が1945年に提出したそのペニシリンの製造許可申請許可書が、2019年度の重要科学技術史資料(未来技術遺産)に登録されたと発表した。

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 ペニシリンは、1928年に英国のアレクサンダー・フレミングが発見した、人類史上最初の抗生物質である(フレミングはその功績でノーベル賞に輝いている)。発見されてからも研究は続き、実用化に至ったのは1942年のことであるが、ちょうど第2次世界大戦のさなかであったことから、多くの負傷兵などの命を救うことに繋がった。

 さて、世界大戦さなかのこととて、その時点でペニシリンの製造技術は連合国側が独占していた。技術だけではなく情報に関してもそうだった。日本に、ペニシリンについての情報がどうにかもたらされたのは1943年12月。ドイツからのもので、通称「キーゼ報告」という。

 そして翌1944年2月、稲垣克彦軍医少佐が中心となり、当時の日本の医・薬・農・そして理学の専門家たちが召集され、ペニシリンを量産するための特命委員会が結成された(なお、当時日本ではペニシリンを碧素と呼んでいた)。

 具体的にどういう研究が行われたのか、どうやって製造に漕ぎつけたのか、詳しい事情を伝える資料はほとんど残っていない。だが、委員会はほとんど独学だけで、わずか1年の期間を経てペニシリンの大量生産という大成果に辿り着いたというのは裏付けのある事実である。わずかな実例ではあるが、東京大空襲(1945年3月)の折にはペニシリンを救護班が使用していたという。

 今回未来技術遺産に登録されたペニシリン製造許可申請書は、以上の史実を立証する貴重な歴史資料なのである。

 国立科学博物館が2008年度から実施している未来技術遺産は、「科学技術史資料」に関して、科学技術の重要成果を示すものや、国民生活や経済に大きな影響を与えたものなどを登録している。(記事:藤沢文太・記事一覧を見る

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