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ユニ・チャームの原点は各駅停車の鈍行列車
ユニ・チャームの創業者:高原慶一朗氏が10月3日、天に召された。享年87歳。手漉き和紙で知られる愛媛県川之江(現、四国中央市)で生まれ育った高原氏から生前「親父も製紙会社を興した起業家。僕が(ユニ・チャームの前身の)大成化工を設立したのも、極々自然の流れだった」と聞かされた。が、前身は建築資材の会社。そこから生理用品メーカーに転じる経緯を縷々伺った。
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「大成化工を設立した年に、アンネがアンネナプキンの新聞広告を打った。それを見ることがなかったらいまのユニ・チャームはなかったかもしれない。アンネナプキンを買って構造を調べたのだ。それまでの脱脂綿やガーゼを使った物ではなく、吸引力の強い紙を重ねて作られていた。これならうちでも作れると思った。元々が紙屋の息子だから」
「そんな折りに、若造経営者ばかりのアメリカ視察ツアーに参加した。びっくりした。スーパーやら何やらの棚に、至極当然に生理用品が並べて売られていた。僕も買ったが店員は別段気にする風もない。当時、アメリカ流ビジネスは日本にも必ず導入されるという考えが当たり前の時代だった。日本でも生理用品が“こっそり”ではなく“堂々”と売られる日が近いと直感した。帰国後、社員の反対もあったけど親父に話し和紙を使った生理用品作りにのめり込んだ。裁断機も買い入れてね。できた。だがどうやって“堂々”と売ってもらえるかが難題だった」
さて高原氏はどんな策を執ったのか。「武器はアメリカで撮ってきた販売現場の写真と女性社員、それに鈍行列車」と聞いた。どういうことか。「男の僕だけじゃ薬屋さんなどに“なんだ、こいつは”と思われるのがオチじゃないか」。つまり各駅停車に乗り1駅ごとに下車。周辺の薬局を中心にアメリカの写真を見せながら、女性社員を前面にうちの生理用品を見えやすい棚に並べてくれと説いてまわったのである。
功を奏した。製品の発売開始から8年余でアンネを抜き業界トップに躍り出たのである。故高原氏の「困難を潜り抜けなくては、成功などありえない」という言葉が今でも耳に残っている。しばし安らかにお眠りください。ユニ・チャームは16期も連続増配を続けている屈指の優良企業。びくりともするものではありませんから。(記事:千葉明・記事一覧を見る)
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