フォード・マスタング(3) それでもマスタングは不滅

2018年8月4日 17:13

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■「石油ショックの前と後」価値観の激変

 太平洋戦争が終結してみると、アメリカは絶大な大国になっていた。イギリスもフランスもかつての勢いはなく、経済の中心はアメリカに移っていた。そして、太平洋戦争に負けた日本では、戦前にも増して、文化においてもアメリカ追従の「アメリカコンプレックス」ともいえる時代だった。「なぜ日本はアメリカに負けたのか?」と考えることは、日本人にとって当然のことだった。

【前回は】フォード・マスタング(2) GTでもスポーツカーでもないパーソナルカー

 その結果、そのころのアメリカの強さは「大胆さ」であると考えられた。それは、戦闘機の対比で分かる。日本のゼロ戦は極限まで軽量化された設計で、造りにくく強度がなかった。それに対して、米のグラマンは「翼の先端は、少々の空気抵抗などお構いなしで“豪快に”直角にカットされ、機体は造りやすく、大きなエンジンを積めばよい」として作られていた。

 私が初めて社会人になったとき、三菱重工の工場で研修を受けていた。その時ちょうど始まった、航空自衛隊用のマクダネルF4Jファントム戦闘機のノックダウン生産を見学したとき、「マクダネル本社では、工場でノーズコーン(機体先端)の中にたばこの吸い殻が入っていたよ」と生産に従事する担当工員が話していた。だから、「日本人は神経質すぎるのだ」と本気で考えたものだ。確かに、その時生産開始したF4ファントムは、大胆な形状・巨大なエンジンで大きな搭載量を誇る、当時世界最強の戦闘爆撃機だった。でも、「スタイルはスマートじゃないね」と同僚と話したものだ。

 一方で、日本の戦後の国産旅客機YS-11のスタイルについて、「美しく繊細だね」と設計者が自慢していた。しかし、エンジンナセルの微妙な曲線は、「造りにくい」と言われていた。「日本人の繊細さ」は、そのころ「最大の弱点」と思われていたのだ。

 そして、「第1次石油ショック」が訪れた。そのため当時は省エネで、週末になると、夜中に車で東京の街を走り抜けて実家に帰っていたのだが、夜中の午前0時を過ぎて首都高速環状線を抜けようとすると、ネオンが消されて暗いところもあるありさまだった。東名高速などもインターチェンジ以外の街灯は消されて、自車のヘッドライトのみを頼りに走ることに慣れなければならなかった。その途中、よく立ち寄った六本木の飲み屋も午前0時になると閉店となってしまうので、スナックのママをフェアレディZに乗せ、信号が点滅になった都内を100km/hを超えるスピードで駆け抜けたりしていた。

 その時、世の中は変わったのだ!その石油ショックを境に、社会の価値観は日本人に有利に傾いた。現在も、世界中で燃費が最大の関心事だが、当時もオペックの石油戦略で値上がりしたガソリンを少しでも節約するようになっていった。「省燃費」、そんなことが起きるとは思わなかったアメリカでも、自動車の小型化が叫ばれるようになった。マスタングが劇的に小さくなったのだ。マスタングIIの登場だ。しかし面白くはなかった。一方で、日本車が飛ぶように売れていった。フェアレディZは、アメリカではポルシェの対向車と思われたようで、定価の3倍のプレミアムが付いたのだ。

 現在では、オイルショック前の価値観を思い出すのも難しくなってしまった。現在の日本人で50歳前後から若い世代は、アメリカの豪快な姿にあこがれることを知らないだろう。そして、繊細に熱効率を突き詰める日本人技術者を、当然のように見ていることだろう。マスタングは「古き良きアメリカ」の象徴なのだ。

■「現代貿易摩擦の原点、ラストベルト」と「アメリカンGT」

 現在、米トランプ大統領は、中国をはじめ全世界と貿易摩擦を起こしている。ことの是非はここでは論外として、トランプ大統領の支持基盤である、かつて「車の街デトロイト」を中心としたラストベルトの人々は、あの「古き良きアメリカ」の思い出を経験しているのだ。そして、回帰することを望んでいる。「大胆に生き、世界No1」である誇りを、いつまでも捨てはしない。

 フォード・マスタングは、細かいことなど気にしない、大胆で豪快なアメリカンGTなのだ。それがアメリカ人の魂であり、「世界No.1の源」とアメリカ人は今でも信じているのだ。地球温暖化のタイムリミットが迫る中で、それは未来を切り開けるのであろうか。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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