野村證券と「野村軍艦ビル」が迎える曲がり角と今後の行方

2020年2月29日 16:23

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日本橋野村ビルディング (c) 123rf

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 私の書籍デビューは『野村證券・企業部』(1984年)だった。70年代終盤から、日本橋野村ビルディング(その様相から、通称:軍艦ビルと呼ばれていた)に足繁く通った。

 軍艦ビルは1930年に安井武雄氏の設計で、大林組の手により竣工された。野村證券発祥の地:大阪から東京への進出に際し、拠点館として建てられた。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)に接収され「リバービューホテル」と称された時期もある。米軍やその家族の宿泊ホテルとして使用されたのだ。

 そんな時代の荒波の中を潜り抜けてきた「軍艦ビル」がいま、大きな岐路を迎えている。

 キッカケは2000年代初めの中央区の提案だった。「日本橋1丁目再開発計画」である。仕掛け人は三井不動産と野村不動産。最終的に東京都/中央区が再開発事業を牽引する「日本橋1丁目中地区市街地再開発組合」の設立を認可したのは、18年12月14日。計画の概要は以下のようなものである。

★計画地: 国の重要文化財に指定されている「日本橋(石造2連高欄付アーチ橋)」から、南東約3ha。
★建物(1): オフィスやホテルが入る地上49階・地下5階建ての超高層ビル(高さ約287m)。
★建物(2): 歴史的建造物である野村證券日本橋本社ビルの外観を残した、低層棟を2棟。
★20年の東京五輪・パラリンピック後に着工、25年度の完成を目指す。
★総事業費、約3167億円。

 18年7月には首都高速道路の地下化計画も決められた。軍艦ビルに寄り添う形の「無粋」な首都高もいずれ消える。計画が着実に進めば今回の再開発に目途が立つ頃には、日本橋は青空を取り戻す。日本橋川沿いでは、水辺空間の整備も計画されている。

 件の軍艦ビルはどう変質するのか。私が足繁く通った頃の野村證券といまの野村證券を中心とする野村ホールディングス(HD)、あえて言えば「異質」の感が強い。伝わってくる情報の殆どが、誹りを覚悟で記せば「大本営発表」。

 だが人の口に戸は建てられない。野村證券の本社機能は、アーバンネット大手町ビル(千代田区大手町)に既に移されている。それだけになおさら、軍艦ビルの「再開発計画」後が気になる。

 前19年3月期、野村HDはリーマンショック後10年ぶりの最終赤字(約1004億円)となった。そして「環境不透明」を理由に今期計画も「未定」で立ち上がった。野村HDの「赤字」を証券筋は2つの角度から説明した。

 「ホールセールス不振」-リーマンショックで破綻したリーマンブラザーズの欧州部門を買収。高賃金を支払うも、黒字化できず。いわゆるのれん代(価値と見込んで行った投資額)を、減損処理(回収できないと判断した時点で行う固定資産を減少させる会計処理)として特損に計上。

 「国内営業部門の方針転換」-「顧客至上主義」の基、「回転売買禁止」「ノルマ廃止」を決断。それに伴う黒字の圧縮。

 今期は開示済みの4-12月期でホールセールス部門のアジア中心に回復基調。収益も立ち直り入り。が、企業に対する通信簿でもある株価は、IFIS目標平均株価の算出に携わったアナリストの9人中8人が中立/1人が弱気と「依然、方向性が明らかになっていない」状況。

 軍艦ビルと並行し「野村HD」も、転換期に身を置いている。(記事:千葉明・記事一覧を見る

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