クリナップ、シャープに見る社名変更の舞台裏

2020年1月22日 06:38

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 月刊株式投資雑誌でキッチン大手のクリナップ:竹内宏社長のインタビュー記事を読んだ。一読後、久方ぶりにクリナップのホームページを覗いた。

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 「ご挨拶」という項で竹内氏と並んでいた井上強一会長のご尊顔を久しぶりに拝した。井上氏は1949年生まれ。私と同じ歳である(彼は早生まれで学年は1年上)。太っていた。失礼、堂々たる風格の体躯になっていた。と同時にその顔つき・風体が「親父さんに似てきたな」と、つくづく思った。

 親父さんとは、クリナップの創業者:故井上登氏である。創業者が現在の本社が建つ荒川区西日暮里の地で、けやき材の座卓(卓袱台)の製造販売を始めたのが1949年。現強一会長が生まれた年。1台ごとに自ら背負い問屋筋に販売して歩いていたという。創業時の社名は井上食卓。その後、現職のキッチン分野に進出。社名も井上工業に変わった。

 そんな井上工業がクリナップに変わったのは83年のこと。「調理台」「ガス台」「流し台」のシステムキッチンメーカーとして存在感が高まった時期だった。

 強一氏から「何故、クリナップに社名を変えたかご存知ですか」と聞かれたことがある。首を捻っていると、「調理台・ガス台・流し台の3点セットを野球の3・4・5番バッターに準え“クリーンナップトリオ”とし売り出したら好評で、セット商品名をもじったというわけ」と聞かされた。「なるほど」と妙に感心したことを今でも覚えている。

 創業者は言葉を選ばずに言えば「義理人情浪花節/家族主義」の御仁。出身地である福島県の工場の一角には祠が設けられ、在職中に亡くなった人の御霊が祭られている。

 役員の収入はガラス張り。厳しい時には役員報酬の具体的なカットを示し「賞与の減額を許してほしい」と自ら頭を下げた。今でも社員の子供が小学校に入る時には「ランドセルをプレゼントする」習わしが続いている。

 こんな昔話を記していて、フッと台湾の鴻海精密工業の傘下で経営再建が進められているシャープのことを思い出した。1912年に創業者:故早川徳次氏が「徳尾錠」というベルトのバックルを発明したのが入り口だった。ベルトに穴は不要。長短自在に締め込むことが可能なバッックルを活かしたベルトである。

 そんな早川電機工業が世界に名を知られるキッカケとなったのは、金属製繰り出し鉛筆(シャープペンシル)の開発だった。米国でバカ売れ。その後「電子レンジ」や「電卓」等々、家電分野でも成長の礎を築いていった早川電機工業がシャープに社名変更をしたのは、70年1月1日。2代目社長の佐伯旭氏が海外部門担当の常務の時の箴言がキッカケだった。

 足繁く米国市場に足を運んだ佐伯氏はいつも同じ思いに駆られた。シャープペンシルは知れ渡っていた。が「WHAT is ハヤカワ」と問い返される状況に変化が生じなかったのである。

 ある時、帰途の機上で腹をくくった。「首を覚悟で、社長に社名変更を提案しよう」と、である。帰国早々、恐る恐るではあるが「何故」を説明し「社名(をシャープに)変更」を提案した。後に佐伯氏はこう語っている。「社長の口から“いいだろう”という言葉が飛び出すまで、ものの数秒だった。正直、拍子抜けした」。

 社名変更にも、それなりのドラマがあるものである。(記事:千葉明・記事一覧を見る

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