AKBが目指したもう一つの可能性

2017年2月27日 21:33

印刷

 女優・清水富美加の引退、事務所移籍騒動で話題になった「月5万円」という給料の問題は、様々なところで注目を集めている。

 芸人の多くはそれ以下の金額であるし、グラビア、アイドルだって、底辺の子はもっと少ないわけで……という声もあるが、女優であった彼女は下手にバイトもできないし、そもそも女優として成功し始めていた時期で、それ相応のギャラを稼いでいたことを考えると、やはり金銭的な負担は大きかったのであろう。

 とはいえ、一人のタレントを売り出すのにかかる経費というのも、実際には馬鹿にならず、寮に住まわせ、マネージャーがあいさつ回りをし、レッスン代やトレーニング代、さらには衣装代なども負担していたとしたら、しばらくは回収モードにしておかないと、採算が取れなくなるというのも現実ではある。

 実際、韓流アイドルなどは、もっと搾取は激しいといわれ、日本でも人気のあったKARAや少女時代なども、事務所トラブルを起こしているし、奴隷契約と噂されてきたが、幼少期から芸能事務所に入って育成することを考えると、いよいよ日本の芸能プロダクションも、厳しい時代にさしかかってきたということかもしれない。

 しかしながら……実は、10年前に、このプロダクションによる育成システムに革命を起こした存在があったことは、意外と知られていない。

 実はそれが「AKB48」である。

 こういうと、多くの人は信じてくれないかもしれないが、元々AKBというのは、アイドルグループであると同時に「AKBプロジェクト」という企画でもあったのである。

 芸能経験のない、素人の、だけど女優や歌手になりたいという思いを持っている少女たちを集め、劇場という場所で、その日のギャラを稼ぎつつ、同時に自分たちの公演をプロダクション関係者やプロデューサーに見てもらい、スカウトをされたら移籍して活動する。

 つまり、劇場という「育成道場」を作り、アイドルグループとして最低限のレッスンを受けつつ、完成品や可能性を感じた子を事務所がスカウトするという、育成部分を肩代わりさせることを意図した場所であったのである。

 そのため、初期のAKBは恋愛禁止でもなく、アイドル志望者の受け皿というわけでもなく、様々な個性を持つ少女たちが、それぞれ自分の夢をかなえるために切磋琢磨する場所として、物凄く魅力的な輝きを放っていた場所だったといえるし、そのシステムを考えた秋元康という人の才能も改めて評価されるべきだと思う。

 ただ、その後AKBが予想外のブレイクを果たし、アイドル集団としての評価が不動のものになってから、利害関係も複雑化、人数も姉妹グループの増加で数百人規模となり、その形を維持するために、握手会をはじめとする販促戦略をとらざるを得なくなった結果、劇場公演は当初の趣旨から変質し、入ってくる若いメンバーの意識も変わり、周囲の評価も変わってしまい、この画期的な育成システムは頓挫してしまった。

 時代の流れにうまく乗ることは大切だが、秋元氏の内心には、忸怩たるものがあるのではないだろうか?(記事:潜水亭沈没・記事一覧を見る

関連キーワード

関連記事