AIテクノロジーによる超管理社会 (2) 「インクルーシヴなAI」

2020年5月20日 14:02

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 しかし不思議なことに、中国人はプライバシーが国家に握られていても安心しているようで、「デジタル・レーニン主義」なるものを受け入れているようだ。いや受け入れると言うよりは、「国家と個人」とは現状の中国国内の「在り方」以外に認識は許されないのであろう。今は経済的に成功しているためか、疑問に思っていないようだ。

【前回は】AIテクノロジーによる超管理社会 (1) 中国の「デジタル・レーニン主義」が台頭

■「インクルーシヴなAI」社会の構築

 EU、アメリカ、中国がそれぞれの立場を求める中で、日本は「いまだ宙ぶらりん」の状態であると考えられているようで、日本のとるべき進路が問われている。そこで優先されるのは「企業か、国家か、それとも個人か」、それが問題だ。

 ❝総務省では「インクルーシブなAI経済社会」(様々な主体が、AIとデータを活用し、社会的・経済的活動に積極的に参加し、貢献に応じた分配、充足感、余暇の拡大等を得て、社会全体で豊かさを共有する経済社会)の実現を目指している❞としている。

 太平洋戦争後、明治維新以来続いていた「国家主義」、つまり現代では右翼とも言える「天皇を神のように敬う全体主義」が、敗戦によりアメリカの手で崩壊させられた。そして、日本は民主主義国家となってきたのだ。しかし、日本社会には常に全体主義的な雰囲気があり、「繋がり」重視で、「和」を尊ぶ精神構造が今でも強い。

 「デジタル・レーニン主義」は受け入れがたいが、「インクルーシヴなAI」は日本人に受け入れやすい概念だ。しかし、それを受け入れる精神構造において「国家主義」を願望する危険を常に感じる。

 インクルーシヴな社会とは「誰もが排除されずに共に生きる社会」と言うが、「机上の空論である」ことは間違いない。しかし、「憲法は戦争に走ることの歯止めになる」と言うように、「すべての社会システムに繋がる大事な基本」であるとの意味では「机上の空論」ではないと言える。

 AIシステムにおいて、インクルーシヴを目指すことが日本人の特性に合っているのであろう。「法律の立てつけ」と「AI技術開発」が協調できるとは現時点では考えられないが、こうした法学者とAI開発エンジニアが議論を交わすことができれば、いつしか正論となる理論が組みあがっていくのであろう。学者だけ、技術者だけでの検討にならないことを、政治が担保しなければならない時だ。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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