三越本店前のライオン像の意図と風聞

2020年2月28日 09:10

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日本橋三越本店前のライオン (c) 123rf

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 栄える商業施設の存在が人を集い、賑わう町を創造するのは世の古今東西の常。

【こちらも】江戸時代創業の日本橋の印鑑店に、印の「趣」を覚える

 江戸時代の商業施設の代表格は、呉服屋の「白木屋(後に東急百貨店、現日本橋一丁目ビルディング)/コレド」「越後屋(現三越)」「大文字屋(現大丸)」。

 三越は1673年に後の三井財閥の源流とされる三井家の三井高利氏により、現在の日本銀行本店の地に設立された。後に現在の日本橋三越本店の真向かいに移転、更に現在地に拠点を移している。

 三越が「三井高利」の苗字と「越後屋」の最初の一文字から、屋号を「三越呉服店」としたのは1904年(明治37年)。この年に『デパートメント・ストア宣言』をしている。曰く。「三越呉服店は今後、最先端の品揃えとサービスでお客様に満足して頂ける百貨店を目指します」。

 そして宣言を具現化するために総合百貨店化を図る中で「三越」に屋号を変え、例えば本邦初のエスカレーターを導入(1914年:大正3年)するなどの施策を展開した。

 そうした百貨店化の陣頭指揮に当たったのが、当時の支配人:故日比翁助(ひびおうすけ)氏(前三井銀行本店副支配人)だった。百貨店設立のために何度となく欧米に渡り視察を繰り返した。そんな中で・・・

 読者諸氏もご存知かと思う。日本橋三越本店の入り口に並ぶ2頭のライオン像を。このライオンも日比氏が視察の際に、ロンドンのトラファルガー広場にある記念塔の下のライオン像(4頭)に惹かれたのが引き金だったという。

 何故、惹かれたのか。「三越を百貨店の王者にしたい」という思いが込められていたとされる。また一説には「日比氏は大のライオン好き。息子に雷音と名付けているほど」とする見方も聞かれる。

 いずれにしても実際にそのライオン像をモデルにイギリスの彫刻家:メリフィールド氏が型をとり、バルトン氏により鋳造されたのが件の2頭のライオン像である。

 「三越のライオンの前で」と、かっこうな「待ち合わせ場所」になっている。が、こんな声も聞かれる。「ライオンを跨ぐと、願い事が叶う。受験などに効果大」。

 実は私も30年余り前、そんな伝聞を実践したことがある。長男の私立高校受験の際だった。まさか真っ昼間に跨ぎ乗るわけにはいかない。飲んで時間をつぶし真夜中近くに断行した。ご利益はあった。だが息子は入学早々から遊び惚け、ろくに授業にも出なかった。ライオンは合格後までは面倒を見てはくれないということか。

 三越伊勢丹ホールディングスの広報担当者は「ライオン跨ぎ」について、「そういう話があることは認識している。だが跨ぐ方が実践するのは夜中のケースが多いようで、この目で確認したことはない」としているという。

 企業には色々な歴史、逸話があるものである。(記事:千葉明・記事一覧を見る

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