9月28日は日本の人工衛星の本格的な夜明けの日 1971年「しんせい」打ち上げ

2019年9月27日 11:59

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 日本で最初に宇宙への打ち上げに成功した人工衛星は、1970年の「おおすみ」ということになっている。しかしながら、この「おおすみ」は、科学目的で利用できるような満足な設計がなされたものではなかった。

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 致命的だったのはロケットエンジンとの断熱が不十分で、搭載した電池が約15時間しか持たなかったことである。そのため地上で「おおすみ」からの電波をすぐに受信できなくなり、その存在を光学的観測するだけの代物となってしまった。

 ただし、「おおすみ」は世界に誇れる足跡も残している。それは、誘導装置がついていないロケットとしては世界で初めて人工衛星となった点である。「おおすみ」の打ち上げ成功によって、日本はアメリカ、当時のソ連、フランスに次いで世界で4番目の人工衛星打ち上げ国となった。

 かなり前置きが長くなったが、日本初の人工衛星「おおすみ」は、打ち上げに成功したとはいえ、日本の科学者や技術陣にとっては悔いの残る結果となっていた。その意味では日本の科学者や技術陣が本当の意味で溜飲を下げる結果をもたらしたのは、1971年9月28日に打ち上げられた「しんせい」である。

 「しんせい」は、日本初の快挙をもたらした「おおすみ」の陰に隠れた目立たない存在で、聞き覚えのない人も多い。だが、専門家ではむしろ日本初の科学衛星として「しんせい」を評価している人が多い。

 もともと「しんせい」は地球の電離層の観測や宇宙線の研究、太陽の短周波帯電波発生メカニズム解明などの科学的探査目的のために開発された人工衛星であったが、打ち上げ直後に一部観測機器の故障が認められたものの、約2年間にわたり、観測任務を全うした。

 「しんせい」は電源に太陽電池を採用していたが、太陽電池は航行中に宇宙線を浴びると性能が劣化していくため、できるだけ長期間にわたって運用ができるように大きめの容量のものを搭載していた。運用当初は太陽電池が発電した電気を蓄える化学電池が過充電を起こし、加熱損傷するリスクもあったため、これを如何に回避するかが技術陣の腕の見せどころでもあった。幸いにして「しんせい」は地球を8056周するまで、地球にリアルタイムで観測データを送り続けてくれた。

 約2年間にわたる「しんせい」の活躍によって得られた日本初の科学衛星による運用経験やノウハウが、後の日本の宇宙開発技術に大きく貢献したことは言うまでもない。

 「しんせい」が宇宙空間を航行していた1971年から1973年と言えば、日本人はむしろ月に何度も人類を送り込んだアポロ計画のほうに関心があり、「しんせい」の成し遂げた快挙は全く目立たなかった。だが、当時の日本の科学者や技術陣の頑張りがあったからこそ今日がある。そのことだけは忘れないでいただきたいものである。 (記事:cedar3・記事一覧を見る

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