地動説で知られるニコラウス・コペルニクスの業績と生涯

2019年5月25日 17:23

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ポーランドのワルシャワにあるニコラウス・コペルニクスの像。

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 5月24日はニコラウス・コペルニクス(1473年2月19日~1543年5月24日)の命日にあたる。彼はルネサンス時代に生きたポーランドの天文学者であり、キリスト教司祭である。彼の名前は「コペルニクス的転回」という言葉で何となく聞いたことがある人も多いのではないか。はたまた、20世紀のSF傑作映画に数えられるバック・トウ・ザ・フューチャーの登場人物でタイムマシンを発明した科学者ドックの愛犬の名前としても知られている。

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 1453年の東ローマ帝国滅亡からちょうど20年後にコペルニクスは生まれた。東ローマ帝国の滅亡は中世の終わりを意味し、キリスト教的宇宙観から、人間中心の宇宙観へと人間の意識が大きく転換を遂げていく時代の真っただ中を生きたのが、コペルニクスであった。歴史の世界では西ローマ帝国が滅亡した476年から1453年の東ローマ帝国滅亡までを中世と位置付けているが、この約1,000年間は人類にとっては暗黒時代であり、科学でほとんど進歩のなかった時代である。

 そんなルネサンス時代の幕開けに生まれたコペルニクスは、幼いころに両親が亡くなり、母方の叔父のもとで育てられた。この叔父がキリスト教司祭であったことから、コペルニクスも司祭の道を歩むべく大学では天文学、化学、医学、法律など様々な学問に親しんだ。最初はポーランドの大学に進んだが、彼の多くの知識はその後のイタリアへの留学時代に培われたものである。イタリアといえば、当時の西欧における文化の中心地であり、人間中心の新しい価値観に触れる機会も多かったことが想像される。

 コペルニクスは地動説を唱えた人物として有名だが、彼よりもはるか昔の古代ギリシャ時代にアリスタルコスによって地動説は既に唱えられていた。つまり地動説は、中世時代には歴史のあやに翻弄され、全く見向きもされない化石のような存在に落ちぶれていた。

 地動説の発案者としてではなく、中世の神中心の観念的にしか宇宙を捉えられなかった時代に幕を下ろし、観測中心、人間中心の価値観で科学を復活させた立役者の一人としてコペルニクスは捉えられるべきである。

 ルネサンス時代に天文学に大きな貢献のあったガリレオ・ガリレイやヨハネス・ケプラーが登場するのは、コペルニクスの死後30年ほどが経過した後のことである。その意味でコペルニクスの先見性は注目に値する。(記事:cedar3・記事一覧を見る

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