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ウクライナ情勢の緊迫続く
記事提供元:フィスコ
*10:55JST ウクライナ情勢の緊迫続く
クリミア戦争(1853-1856年)は、日本にペリー黒船が来襲していた頃、南下政策のロシア帝国とオスマン・トルコ帝国の衝突だった。主戦場はバルカン半島やギリシャだったが、1853年11月にトルコ側都市シノープ殲滅(シノープの虐殺)が起こり、英仏などが本格参戦し全面戦争に至った。その激戦地がクリミア半島、ロシアの黒海艦隊基地セバストポリだった。戦闘は約1年間続き、両軍死者数は20万人超、激戦はナイチンゲールの活躍で知られ、後の国際赤十字設立に繋がった。1856年にオーストリアとプロイセンの調停で講和交渉が始まり、3月にパリ条約が締結された。
ウクライナはオスマン帝国に類する存在ではないが、政情不安がトルコ、ギリシャ、キプロス、中東欧諸国に広がらないかどうかは一つの注目点となる。また、クリミア自治共和国ないしは東ウクライナの分離独立の動きでは、独立させなかったチェチェンとの比較で、ロシアのダブル・スタンダードとの批判がある。ロシアとしても、何時、他地域に飛び火するか分からない緊迫感がある。《MK》
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