「ジョン万次郎デニム」、"ジョン・マン"が米国で着用したワークウェア再現

2018年3月8日 12:38

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記事提供元:ファッションプレス

 高知県土佐清水市の「ジョン万次郎資料館」が、2018年4月1日(日)にリニューアルオープン。そのリニューアルオープン記念企画として「ジョン万次郎デニム」が発売される。

 今回、"初めてアメリカを伝えた人"として有名なジョン万次郎がアメリカで着用していたとされるスリーピースと、彼と仲間が日本に持ち帰ったとされる青のデニム生地や万次郎が日本に伝来したミシンからインスパイアされたジーンズ「ジョン万デニム」が、時代背景やディティールにこだわって完全再現される。

■ジョン万次郎とデニムの関わり

 まず、ジョン万次郎がなぜアメリカへ渡り、デニムと関わったのか歴史を振り返る。

■"ジョン・マン"の誕生

 1827年現在の高知県土佐清水市中浜に生まれたジョン万次郎こと中浜万次郎。1841年、14歳の万次郎は仲間と漁に出て遭難し、143日間のサバイバル生活の後にアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助された。しかし当時の日本は鎖国状態にあり帰国が容易ではなかったため、万次郎はアメリカに渡ることを決意。船長のホイットフィールドは親しみを込めて彼を"ジョン・マン"と呼ぶようになった。かくして万次郎は、アメリカ本土に初めて足を踏み入れた日本人として歴史に名を刻んだ。

■ジョン万次郎とデニム

 数年後、万次郎は日本に帰国することを決意。帰国資金を得るためにゴールドラッシュの起こっていたカルフォルニアに向かった。金の採捕の際、万次郎は労働者向けのパンツ・ジャケット・ベストのスリーピースを着用していたといわれている。さらに資金が集まり帰国する際には、ともに乗船していた仲間が購入した3ヤードの青のデニム生地が積み込まれていたとの記録も残っている。

■ジーンズ誕生のアメリカ

 1851年に帰国した万次郎は、海外使節団の通訳兼ガイドとして1860年に再度アメリカへと向かい、滞在先のアメリカ西海岸で購入したミシンを日本へと持ち帰った。このミシンが日本に伝来した最初のミシンといわれている。その後も海外渡航を続ける万次郎だが、その頃アメリカではデニム生地を使用した作業着「ジーンズ」が誕生していた。

■当時の時代背景にこだわった2アイテム

 ジョン万次郎が金鉱採掘の際に着ていたであろうワークパンツ&ウェアのスリーピースは、昨年発見されたジョン万次郎の写真と、当時生産されていたヴィンテージデニムやワークパンツの資料を元に、ヴィンテージデニムブランド「ウェアハウス」の手によって現代に蘇る。

 「ジョン万デニム」は、彼が日米使節団のガイド兼通訳として西海岸を訪れたという歴史的背景を踏まえ、当時のデニム生地や縫製方法を再現しながらも、デザインは現代のスタイルに合わせた。バックポケットやコインピケットの位置などにジーンズ初期の要素を取り入れ、"現代に穿けるクラシックなデニム"を追求。ジョン万次郎没後120年にちなみ、120本限定生産となっている。

【詳細】ジョン万次郎資料館リニューアルオープン日:2018年4月1日(日)住所:高知県土佐清水市養老303開館時間:8:30~17:00入館料:大人400円、小中学生200円(団体=15名以上同一入場は2割引)※福祉割引あり。身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳又は被爆者健康手帳提示で、本人とその介護者1名は、大人200円 小人100円。定休日:無 ※2018年3月31日(土)まで改装の為閉館

※本記事はファッションプレスニュースから配信されたものです。ファッションプレスでは、ブランド、デザイナー情報、歴史などファッション業界の情報をお届けしています。

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