ATLAS、ヒッグス粒子から生じたZボソン対の量子もつれに強い証拠 初のスピン量子三値系

4レプトンの不変質量分布。観測された衝突データ(黒点)と標準模型による予測を比較している。色の違いは、最終状態に寄与する標準模型の各過程を表す。(画像:ATLAS Collaboration/CERN)[写真拡大]
CERNのATLAS共同研究グループは、ヒッグス粒子から生じた2個のZボソンのスピンが量子もつれの状態にあることを示す、初の強い実験的証拠を得た。スピン1のZボソンは3つの偏極状態を持つため、量子情報科学の用語では量子三値系、すなわちqutritとして扱える。
最も感度の高い解析では、分離可能な非もつれ状態を4.7標準偏差の有意性で退けた。これは素粒子物理学で発見の目安とされる5標準偏差には届かないが、質量を持つベクトルボソンの量子もつれを示す強い証拠となる。論文は2026年9月11日付の学術誌「Physical Review Letters」に掲載された。
■量子三値系としてのZボソン
量子もつれとは、複数の量子系の状態を個別の状態の組み合わせとして表せず、系全体を一つの量子状態として記述する必要がある性質を指す。LHCではこれまでにトップクォーク対のスピンの量子もつれが観測されているが、今回の測定対象はスピン1のZボソン対である。
トップクォークのようなスピン1/2の粒子は、選んだ軸に対して2つのスピン状態を持ち、量子情報科学では量子ビットに対応する。一方、Zボソンには+1、0、−1に対応する3つの偏極状態があり、量子三値系として記述できる。
2個の量子ビットからなる系の状態空間が4次元であるのに対し、2個の量子三値系からなる系は9次元の状態空間を持つ。今回の成果は、こうした3状態のスピンを持つ素粒子の組について量子もつれを測定した初の例となる。
ATLASが調べたのは、スピン0のヒッグス粒子がZボソン対を経て、4個の荷電レプトンへ崩壊する過程である。標準模型では、Zボソン対のスピン状態は複数のヘリシティー成分のコヒーレントな重ね合わせとして表され、分離できない状態になると予測される。
研究チームは、Zボソンが崩壊して生じる電子またはミューオンの角度分布から、Zボソン対の偏極相関を調べた。個々のZボソンのスピンを検出器で直接測るのではなく、崩壊生成物の飛ぶ方向をスピン状態の分析に利用する方法である。
■オフシェルZボソンを含む崩壊
ヒッグス粒子の質量は約125GeV、Zボソンの質量は約91GeVである。ヒッグス粒子の質量はZボソン2個分の質量より小さいため、今回解析されたH→ZZ*→4レプトン崩壊では、少なくとも一方が質量殻上の自由なZボソンではなく、オフシェルのZボソンとなる。アスタリスクを付けた「Z*」は、このオフシェル状態を表す。
量子場理論では、オフシェル粒子はファインマン図の内部線として現れ、自由粒子として直接検出される対象ではない。一方、今回の論文では、高い速度を持つレプトンへ崩壊するオフシェルZボソンについても、3つのヘリシティー状態を持つスピン量子三値系として記述している。
ATLASの解析は、2個のZボソンの崩壊で生じたレプトンの角度相関を通じ、オフシェルZボソンを含むZボソン対のスピン状態を再構成した。これは、直接観測されない中間状態についても、その崩壊生成物に残された情報から量子的な偏極相関を調べられることを示している。
仮想粒子を物理的な実在と呼ぶべきか、それとも摂動計算を構成する概念と捉えるべきかは、物理学の解釈に関わる問題である。今回の測定がこの議論に決着を付けるわけではないが、オフシェルZボソンを含む系が、測定可能な量子相関を持つ一つのスピン系として扱えることを具体的に示した点は興味深い。
■4個のレプトンから偏極相関を再構成
Zボソンは極めて短寿命で、生成後すぐに別の粒子へ崩壊する。このためATLASは、Zボソンそのものを長時間保持してスピンを測るのではなく、崩壊で生じた荷電レプトンの運動を記録した。
解析対象となったのは、ヒッグス粒子が2個のZボソンを経て、電子またはミューオンからなる4個の荷電レプトンへ崩壊する過程である。この「4レプトン・チャネル」は発生頻度が低い一方、最終状態の粒子を精度よく再構成でき、他の過程による背景も比較的少ないことから、ヒッグス粒子の精密測定で重要な役割を果たしてきた。
研究チームは、LHCのRun 2で取得した重心系エネルギー13TeVの陽子・陽子衝突データと、2022年から2024年までのRun 3で取得した13.6TeVのデータを組み合わせた。選別後の解析標本は約400事象で、測定の不確かさは主に事象数の少なさに由来する統計誤差が占めた。
各事象では、同じ種類で電荷が反対のレプトンを組み合わせて2個のZボソン候補を再構成し、それぞれの静止系でレプトンが放出された方向を求めた。弱い相互作用によるZボソンの崩壊では、レプトンの角度分布が親粒子の偏極状態に応じて変わるため、これらの角度がスピンを調べる手掛かりになる。
ATLASは、スピン密度行列のうち量子もつれに感度を持つ2つの係数を測定した。得られた値はC₂,₁,₂,₋₁=−0.71±0.45、C₂,₂,₂,₋₂=0.08±0.44で、標準模型の予測と整合した。これらは、異なるヘリシティー成分間のコヒーレンスを表す非対角成分に対応する。
ただし、個々の係数の測定は統計的な不確かさが大きい。そこで研究チームは、角度分布の情報をより広く利用する相補的な尤度比検定を行い、標準模型が予測する量子もつれ状態と、分離可能な状態を比較した。
■非もつれ仮説を4.7シグマで排除
最も高い感度を得た仮説検定では、分離可能な非もつれ状態が4.7標準偏差の有意性で退けられた。データ量から予想されていた感度は4.9標準偏差で、観測結果はこの見積もりと整合している。
この検定は、ヒッグス粒子が標準模型どおりのスピン0のスカラー粒子であることや、Zボソンからレプトンへの崩壊角度分布が標準模型で記述されることなど、複数の仮定に基づいている。比較対象となった非もつれ仮説は、これらの仮定の下で許される、2個のZボソンがともに縦偏極した分離可能状態である。
したがって4.7シグマという数字は、あらゆる非量子的モデルを一般的に排除したことを意味するものではない。標準模型に基づく特定の量子もつれ状態と、同じ前提の下で構成された分離可能状態を比較し、後者を強く支持しない結果が得られたという位置付けである。
今回の研究はベル不等式を用いて量子力学と局所的な代替理論を比較する試験ではなく、Zボソン対のスピン状態が量子力学的に分離可能かどうかを調べたものだ。高エネルギー衝突で生じる短寿命粒子について、崩壊生成物から量子状態の構造を読み出せることを示した点に意義がある。
■高輝度LHCで進む精密測定
LHCは2026年6月にRun 3の運転を終え、高輝度LHCへの移行に向けた第3次長期運転停止に入った。2030年に始まる予定のRun 4では、加速器とATLAS検出器の改修により、これまでより大規模なデータを取得する計画である。
データ量が増えれば、統計誤差が支配的な今回の測定をさらに高い精度で繰り返せる。量子もつれに感度を持つスピン密度行列の成分を詳しく測り、標準模型の予測との比較を深めることも可能になる。
Zボソン対の偏極や量子相関は、ヒッグス粒子と電弱ゲージボソンの相互作用を調べる新たな観測手段にもなる。将来の測定では、量子もつれの確認だけでなく、ヒッグス粒子の結合に標準模型からのずれがないかを検証する研究への応用も期待される。
論文の題名は「Measurements of Z-Boson Pair Entanglement in Decays of Higgs Bosons at the ATLAS Experiment」で、ATLAS共同研究グループが「Physical Review Letters」第137巻、論文番号111804として発表した。
今回の成果は、量子情報科学で用いられるスピン密度行列や非分離性という考え方を、ヒッグス粒子の崩壊で生じる質量の大きな素粒子へ適用したものだ。4個のレプトンの角度分布に残された情報から、オフシェル状態を含む2個のZボソンを一つの量子系として読み解く道を開いた。
元記事: Higgs Decay Yields First Entangled Qutrits, Challenging Status of Virtual Particles
※この記事はTech Timesから提供を受けた記事を日本向けに翻訳・編集したものです。
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