人工頭脳(AI)時代に人間翻訳は生き残れるか?:第一回 AI囲碁 AlphaGoの衝撃

2017年1月25日 16:11

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 昔から酉年というのは心機一転の年とか、新機軸が期待される時とか言われる。天の岩戸を出すまでもなく、神話でも鶏の役まわりは「拓く」に通じるもので、今風に言えば技術革新や新発明が生まれやすい年回りと言われる。それはそれで結構なことで、苦情を唱える筋は何もないのだが、ここに一つ、悩ましい問題が見え隠れしているのだ。

AlphaGo

 それというのも、旧年半ばに世間を驚かすちょっとした出来事があったのをご記憶だろうか?他でもない、世界一の碁打ちがコンピューターにベタ負けしたという、あのニュースだ。囲碁を知らない人にはピンとこないかもしれないが、ゲームの世界で将棋やチェスト並んで世界的に普及している囲碁にGoogleの人工頭脳(AI=Artificial Intelligence) AlphaGoが挑戦、世界最強と言われる韓国の李セドル九段を完膚なきまでに破ったのだ。よく碁将棋などというが、将棋と違って囲碁は複雑さで別格なゲーム、現に西洋将棋のチェスではすでに人間はAIの軍門に降っている。しかし碁となると、これをコンピューターが破るには10年はかかると言われていたのだ。それが、deep-learningなる世界が開け、AIがほぼ一夜にして人知を凌いだのだから、これは事件だ。

 囲碁界は沸きに沸いた。「道策、秀策など過去の名棋譜をぜんぶ覚えているそうな」、「定石なんか知らぬものなし、だそうだ」…。巷のざる碁打ちたちも、感心したり残念がったり、大いに騒いだものだ。

 ごく最近の情報では、このAlphaGoはさらに進化して、韓中のネット囲碁にハンドル名(Magister, Master)で登場、正月明けまですでに60戦無敗だと言う。「ヒカルの碁」のsaiさながらの話だ。対局者にはほぼ韓中屈指の名手たちが軒並み含まれており、こと囲碁に関しては勝負あったの感があるのだ。

第四次産業革命

 さて、筆者はここで囲碁の話をする気はないし、囲碁をも征服したと言うAI囲碁AlphaGoの技術的な分析をするほどの知識もない。筆者がたまたまざる碁を囲むから、話の筋として持ち出したまでで、どちらにしても素人の筆者の手に負える話ではない。本題は、そのAlphaGoに代表されるAI人工知能が、筆者の生業である翻訳にどう関わり合いを持つのか、ずばり言えば「AI人工頭脳は翻訳家の仕事を奪うだろうか」という問題だ。

 翻訳など縁のない人には、これはまさに人ごとだろうが、翻訳で飯を食っているものには、これは言わば死活の問題だ。ただ、囲碁を知らない翻訳家は存外この事態を「人ごと」と思うかも知れないのだ。なまじへぼ碁でも打つからこそ、筆者にはこれがなかなか気に病む話なのだ。その理由は、囲碁の「手筋」が英語の「語彙」に似ているとか、「定石」が「文法」、囲碁の「読み」などは「長文読解」に通じる、などなど、そもそも所縁のない囲碁と翻訳がだが、AI人工頭脳を介するや俄かに紙の表裏か、のようにも思えてくるから不思議だ。大久保彦左ならずとも「天下の一大事」というところだ。

 さて、人工知能AIの出現は、蒸気、電気、コンピューターに次いで、第四次産業革命の切り札だと言われています。囲碁や翻訳どころじゃない、人間生活の隅々までAI化されるという。28年後の2045年になると、いわゆるシンギュラリティー(singularity)の状況が出現するとか。つまり、人工知能が人間の知能を上回る事態が起こるということで、これは只ならぬ状況だ。それが人間にとって便利かどうかと問われれば、大いに結構だとしながらも、何か人間が骨抜きになるような、人間ならでは、の世界が侵食されてしまう不安感も覚えるのだ。

人間ならでは…

 筋が散らばってしまう前に、話を翻訳に戻そう。翻訳という仕事は言葉を操ること、創作で必要な想像力とか芸術性とかこそ問われないが、右から左へ、エッセンスを言語間で行き来させる翻訳という作業でも、ほどほどに匠の技を要求される。扱う言語のそれぞれに通じることは言うまでもなく、言語間の近似性、違和感を常時意識しながら、いわゆる「つぼ」にはまった表現で内容を定着させる、いわば布地を織り変えるのが翻訳という作業だからだ。やや持って回った言い方をしたが、ここではとりあえず、翻訳にはこの「機織の感覚」の妙がコツだということをご記憶いただきたい。このことが、AIと人間翻訳の関わりを腑分けする過程で、精密志向の機械翻訳に対する人間ならではの生翻訳の相克を、ご理解いただく要にもなる部分だからだ。

 翻訳というものは、正確無比でさえあればいいならば、先端の囲碁棋士たちを撫で斬りにしているAI知能の前に、もはや翻訳に勝ち目はないことになる。現に街角では簡易通訳デバイスが普及し、外国からの観光客たちに重宝されており、英語が苦手の日本人には心強い味方になっている。つまり、何気ない日常会話のレベルならそれで十分、ヘボ通訳ならもう人間はいらない、という話だ。

 しかしこの話、存外に奥が深いのだ。囲碁がそうだから翻訳もそうだ、ということにはならない。囲碁は、文字通り黒白の勝負だからこそデータ処理の権化であるAIに敗れたが、翻訳には勝敗というクライテリアはない。あるのは、正確さに上乗せした質感、趣向、美観など、およそデータ処理とは異質の要素ばかりだ。

 次回から、筆者の拙いながら長年の経験と知見を手掛かりに、翻訳というユニークなフィルターを通して見える第四次産業革命の現実を縷々考えてみたい。(続)

著者プロフィール

島村 泰治

島村 泰治(しまむら・やすはる) 翻訳家

戦後10年後にアメリカ留学し、Boise State University、University of Utahを卒業。帰国後は文化自由会議で「自由」誌の編集を担当。駐日ノルウエー大使館で主席通訳/翻訳官、情報分析として20年余勤務し、定年退職。現役時代は英語畑で過ごし、引退後の現在は、傘寿超のもの書きとして、翻訳(和英、英和)、もの書き、原書講読講座主宰、野菜作りに勤しむ晴耕雨読環境に。

一貫して英語を介した仕事が生業で、公務では9割が英語での書き物が多く、ほとんどは翻訳の域を出た分析記事だったことから、現在でもネット上(http://www.zaikeinews.com/)で日本紹介をテーマにNathan Shigaの筆名で発信中。

■ 著作:
○王育徳「台湾:苦悶の歴史」の英訳「Taiwan: A History of Agonies」が台湾から発売されています。
○Kindle本「グローバルエイジのツール 二刀流翻訳術」

■ホームページ
梟の侘び住い: http://wyess11.xsrv.jp/main/

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