クリナップの創業者:故井上登氏が天国から「パナソニックのキッチン事業を買いたいな」と言っていると思う理由

2025年6月28日 17:09

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 23日の株主総会で、パナソニックHDの楠見雄規社長は、2026年3月期を中心に内外1万人規模の構造改革計画に理解を求めた。

【こちらも】クリナップ、シャープに見る社名変更の舞台裏

 株主からは「創業者(松下幸之助翁)の遺志に反するのではないか」といった疑義が呈されたという。世界恐慌下でも松下幸之助氏は「人は一人も減らさない」と宣言した、とされている。

 楠見社長は「創業者のエピソードは非常に深い意味を持つが、当時と事業環境が大きく異なるのも事実」としたと言う。パナソニックHDはキッチン関連など4事業について、収益性の低さから、27年3月期までに「売却」or「撤退」を視野に入れている。

 そんな報に接し、「あの御仁だったら(キッチン事業を)買いに向かうのではないか」と漠然と思った。御仁とはシステムキッチンで知られるクリナップ(7955、東証プライム市場/前身:井上食卓)の創業者、故井上登氏(2008年没)である。

 ちなみに私は2020年の当欄で『クリナップ、シャープに見る社名変更の舞台裏』と題する拙稿を記している。社長に就いていた井上強一氏が同い年ということもあり、足しげく取材の機会を得た。

 いま以下のような話を創業者会長の登氏から聞いたのか強一社長からだったか、当時の専務:岩田吉弘氏から耳にしたのか定かではないが・・・

 井上登氏は松下幸之助翁を私淑していた。ある年の暮、当時の松下電産から一枚の案内状が届いた。翌春の新年祝賀会への参加を求めるものだった。差出人はキッチン事業部門。登氏は無論、参加の旨を早々に返送した。正月三が日、そして待望の前日・当日は水を浴びて身を清めた。

 当日はサラの下着、新調のワイシャツ・スーツで身を包み祝賀会に出向いた。ただそれだけの話だが、登氏が存命ならパナソニックHDのキッチン事業「謹んで頂戴したい」となったのではないかと思えてならない。

 クリナップという企業には登氏の意とするところが、脈々と受け継がれている。出身地:福島県いわき市に工場が集結している。工場から「食堂を作って欲しい」という声が上がった折り登氏は「エリアの飲食店の方々に迷惑になる」と、是非はともかく首を縦に振らなかった。

 2011年3月11日の東日本大震災で周知の通り、福島県も甚大な被害に見舞われた。生産拠点では津波や地盤沈下で1カ月の生産停止に追い込まれた。「別の地に工場を」という声も上がった。が19日と26日にいわき市を訪れた当時の井上強一社長は全拠点を視察した上で、「ここに残る」と決断したのだった。(記事:千葉明・記事一覧を見る

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