渋沢栄一翁が澁澤倉庫を創業した理由、翁が関わった企業群

2021年8月30日 17:30

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 澁澤倉庫(東証1部)の創業は1897年(明治30年)。創業者は「日本の資本主義の父」と称される、渋沢栄一翁。何故、翁は倉庫・流通業に足を踏み入れたのか。表現は適切でないかもしれないが、「そもそもは、自ら蒔いた種を刈り取るためだった?」のである。

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 翁は明治政府の要望を受け、大蔵省の中軸官吏として招聘された。そうした中で翁が提案した「地租改正」が実施されている。今流に言えば、税制改革。江戸時代は「年貢米」に税金が課せられていた。だがコメへの課税では毎年の(地域ごとの)天候状況で、税収は安定しえない。そうした大きな課題に対して翁は「コメの量ではなく、コメを作る土地を課税の対象とすべきだ」と提案し説き、地租改正を実施に持ち込んだのである。

 具体的には、各地から江戸に集まるコメを問屋の土蔵などに保管させた。売り手には買い手に対して手形を発行させた。手形はやはり翁が創立の立役者(初代頭取)となった日本初の銀行:第一国立銀行(73年設立、現みずほ銀行)によって「取り立てがなされる」、ないしは「割り引いて買い取りをさせる」枠組みを実現したのである(荷為替決済)。

 この枠組みを真に機能させるためには、全国にコメを収納する蔵(倉庫)会社を設置し流通網を整備する必要があった。翁自らがその体制整備の発起人となった。そしてこれこそが、渋沢翁の渋沢翁たるゆえんだと考える。発起人としての責務を全うするために87年に、深川に保有していた私邸の敷地内に土蔵群を設立し蔵事業を自らも始めたのである。それが、澁澤倉庫の創業。

 今年のNHKの大河ドラマ「青天を衝け」は、翁の生涯を描いたもの。夜8時就寝(というより酒の酔いで目が開けていられない)―朝6時起床に身体が馴染み切っているため、私個人の視聴率は限りなく0%に近いがおそらく翁の企業創業に関しても伝えられているはずだ。一体、どれくらいの企業・団体が生み出されているのか。

 東京商工会議所が「社名は2019年10月現在のもの」という但し書き付きで、『渋沢栄一が関わった約500の企業等』『渋沢が関わった現在の企業186社』を発信している。

 後者でみると【あ行】から【ら・わ行】に分けられ、企業・団体名が微細に記されている。例えば以下のような企業だ。IHI、朝日生命、いすゞ、王子製紙、小田急電鉄、王子製紙、沖電気、関電、九電、共同通信社、群銀、KDDI、川重、麒麟麦酒、埼玉りそな銀、サッポロビール、時事通信社、実業之日本社、清水建設、大成建設、東京商工会議所、東京地下鉄、東レ、豊田通商、東京海上日動火災、日本郵船、日水、日本経済新聞社、日経連、日本商工会議所、博報堂、富士フィルム、平和不動産、毎日新聞、三井住友銀行、三菱重工、みずほ銀行、リーガルコーポレーション、りそな銀行etc。

 日本の資本主義の礎は埼玉県深谷市出身の翁によって築かれた。1作目の大ヒットを受け、埼玉県を笑いものにした?『翔んで埼玉』の続編の制作が決まった。翁にもあの世から観て欲しい。そして笑って郷土を愛でて欲しい。(記事:千葉明・記事一覧を見る

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