人道危機と援助のジレンマ、そのときMSFは?――証言活動の研究用サイトを開設

プレスリリース発表元企業:国境なき医師団(MSF)日本

配信日時: 2014-12-17 09:29:07

国境なき医師団(MSF)は、学術研究向けウェブサイト「MSF Speaking Out( MSFの証言活動)」(http://speakingout.msf.org/)を2014年11月25日に開設した。ここでは、40年の歴史の中で直面した主要な人道危機において証言を決断するにいたった内幕を詳述。1980年代以降議論を巻き起こしたエチオピアの大飢きんやルワンダ虐殺など、研究者、学者、人道援助従事者を対象とした10本のケーススタディがそろった。



Famine and forced relocation in Ethiopia 1984-1986
エチオピア:飢きんと強制移住(1984~1986年)
Salvadoran refugee camps in Honduras 1988
ホンジュラス:エルサルバドル難民(1988年)
Somalia 1992-1993: Civil War, Famine Alert and a UN ‘Military-Humanitarian’ Intervention
ソマリア:内戦、飢きん、 “軍事的人道的” 国連介入(1992~1993年)
Genocide of Rwandan Tutsi 1994
ルワンダ:ツチ族の虐殺(1994年)
Rwandan Refugee Camps in Zaire and Tanzania 1994-1995
旧ザイール/タンザニア:ルワンダ人難民キャンプ(1994~1995年)
The violence of the new Rwandan regime 1994-1995
ルワンダ:新体制の暴力(1994~1995年)
The Hunting and Killing of Rwandan Refugees in Zaire-Congo: 1996-1997
コンゴ民主共和国(旧ザイール):ルワンダ人難民の追討と殺害(1996~1997年)
War crimes and politics of terror in Chechnya 1994-2004
チェチェン共和国:戦争犯罪と恐怖政治(1994~2004年)
MSF and North Korea 1995-1998
北朝鮮:MSFと北朝鮮(1995~1998年)
Violence against Kosovar Albanians, NATO’s intervention 1998-1999
旧ユーゴスラビア:コソボのアルバニア人とNATOの介入(1998~1999年)

MSFは今日まで、人道活動の一形態として証言や提言を続けてきた。そうした活動はときに賛否を招くが、現在もMSFにとって重要な特徴として維持されている。西アフリカのエボラ出血熱の流行に対して行った医療活動と政治的提言でも、その重要性は示されている。

人道援助団体としても強い個性といえる証言活動は、患者が直面している境遇の改善を強く促す上で、医療・人道援助活動と同様に重視している。本サイトのケーススタディは、各事例の現場に居合わせた海外派遣スタッフと主要な事務局スタッフからの広範な聴き取りに基づいている。

MSFインターナショナル会長のジョアンヌ・リュー医師は次のように説明している。「各ケーススタディでは、人道援助活動を阻む複雑な問題に行き当たった際、MSFがどのように考え、公式な対応を決定したのか、その経緯を明らかにしています。活動地の人道援助従事者が直面した深い葛藤に対し、MSF内部で起きた議論の歴史的な記録といえます。MSFでは歴史的に、トップダウンではなく集団としての判断が尊重されてきました。岐路となる選択も、分析と考察を伴うMSF内部の議論に基づいています。極めて複雑な緊急事態において下された、重要な態度決定の過程を公表します」

各ケーススタディはMSFの保管文書(プレスリリース、内部の通信、資料)とインタビューの記録、メディアの報道を精選・編集し、制作。本サイトを通じて、MSF内部の省察はこれまで以上に多くの公衆の目に触れる機会を得る。

MSFは武力紛争、病気の流行、保健医療からの疎外、自然災害に苦しむ人びとに援助を届ける独立の国際医療・人道援助団体。深刻な暴力行為、顧みられない危機、援助の障壁を目撃した際は、その証言に努める。

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