田園調布の美しい街並みに、「渋沢栄一翁が深く絡んでいた」という話

2025年12月21日 18:17

印刷

 東急不動産HD(3289、東証プライム)。東急系総合不動産大手。ビル賃貸が収益の柱。

【こちらも】「住むだけでキレイになる住まい」発売開始:グランディハウスとは

 2021年3月期こそコロナ禍の影響:経済・人流の停滞で「減収・減益」を余儀なくされたが、以降は堅調。前25年3月期まで増収・営業増益。平均「6.2%増収、26.5%増益」。今期計画「10.4%増収(1兆2700億円)、8.7%増益(1530億円)、42円配」。連続増配。

 興味深いのは、その経歴である。

 源流は100余年前の1923年。日本は明治維新後の近代化で、欧米列強に近づくべく飛躍していた。並行して、そのひずみに襲われていた。既に世界でも屈指の大都市だった首都・東京に具体的に発現した、人口過密/住宅の供給不足である。これに対して立ち上がったのが日本資本主義の父とされる、渋沢栄一翁を中心とした1918年発足の「田園都市(株)」だった。

 従来、住宅は職住近接が基本だった。が田園都市(株)は、この発想を一変させた。農地と雑木林が拡がっていた多摩川団地を切り開き、郊外型住宅都市に生まれ変わらせた。欧米流の「都市計画」の実行。田園調布の出現。

 いま、東急グループの公の資料にはこう記されている。

 「開発当初は“先進的すぎる”という声もあったというが、いざ分譲販売開始となると、大反響が巻き起こった。当時新たに出現したホワイトカラー(中流階層)や、大学教授・医師といったインテリ層が、環境の良い郊外に住むという新しい生活スタイルに憧れた。現代日本における郊外型都市開発の礎となった」。

 東急不動産HDの始まりは1953年。東急電鉄の不動産部門独立で生まれた。東急電鉄は1928年、目黒浦田電鉄と田園都市(株)が合併。東急電鉄に発展した。

 渋沢栄一翁の「常識にとらわれない発想で人々のニーズに応える」を受け継いだのは、東急グループの創業者:五島慶太氏の長男で、今日の東急グループを創造した五島昇氏とされる。昇氏は、こんな言葉を電鉄の社内報「清話」に残している。

 「もっとこまやかな心づかいで、本当にその土地の人々になる仕事をやるのだ・・・」「安全な道だけを歩いていては、事業は後退を余儀なくされてしまう・・・」「同じ失敗でも、むこうキズの失敗はとがめだてしない」。

 東急不動産HDの株価は1400円余。予想税引き後配当利回り2.5%余。年初来高値ゾーンにある。過去10年間の修正済み株価パフォーマンスは18倍強。IFIS目標平均株価1447円を勘案すると、資産株候補としてゆっくりと一段の押し目を待つのが献策か・・・(記事:千葉明・記事一覧を見る

関連キーワード

関連記事