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世界を席巻していた日本の半導体が衰退の危機に!その理由は?
日本の半導体産業は1980年代中頃には売上高シェアでアメリカを抜きトップになり、1980年代後半には世界シェアが50%を超えていた。
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しかし、調査会社IC Insightsによれば、2015年の日本のシェアは僅か8%で、アメリカの54%、韓国の20%に大きく水をあけられ、台湾には7%と迫られている。今後東芝メモリの去就次第ではさらに日本の半導体の地位が低下する可能性もある。この25年余りで日本の半導体が衰退した要因を探る。
■日米半導体協定の締結
1985年に順調に伸びてきた半導体産業は需給バランスが崩れ、DRAMの価格が急速に下がり、アメリカで相次いで日本のDRAMに対する反ダンピング訴訟が起き、1986年に日米半導体協定が締結された。これにより日本市場へのアクセス改善、ダンピング防止、後に日本市場で外国製半導体の市場シェアを20%以上とする協定が結ばれた。これにより再度アメリカにシェアを逆転され、以後差が拡大した。
■サムスンの台頭
サムスンは「資源の少ない韓国で高度な技術を要する製品を開発して飛躍する」として、1983年にDRAM事業に進出した。当初は日本から技術を導入し、日本人技術者をスカウトして、次第に力をつけた。シリコンサイクルとして時々起こる半導体不況の時も長期的観点で果敢に投資を継続し、1991年日本企業が半導体工場のリストラを行った際には東芝、松下、三洋などの日本人技術者をヘッドハンティングして次の飛躍のための基盤を固めた。サムスンは強いリーダーシップと戦略的な投資で2016年には半導体売上高でインテルに次ぐ2位を確保し、今後1位に迫っていく。
■日本の半導体産業衰退の要因
日本の半導体生産企業の多くは、NEC、東芝、日立、三菱、富士通、パナソニックなどエレクトロニックスの一部門としてスタートしており、当初半導体を使ってエレクトロニックス製品の品質向上を図るときには、相乗効果を大きく発揮することができた。
ところが半導体産業が大きく成長し、インターネットの普及により様々な半導体需要が出てきたときには対応が十分できなくなった。
1996年のDRAM不況では、DRAMに注力していた日本企業が最も大きな打撃を受けた。シリコンサイクルで時々起こる不況では、他部門への影響を抑えるためにリストラが行われ、規模の拡大を図り技術革新を進める戦略的な投資が十分に行われなかった。
■まとめ
結論として、日本のメーカーがシリコンサイクルを繰り返しつつ成長を続ける半導体産業に果敢に投資し、急速に変化する半導体市場に適合していく専業メーカーに育たなかったことが、日本の半導体産業衰退の原因であると考えられる。(記事:市浩只義・記事一覧を見る)
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