【インタビュー】最高の品質を最高のサービスで ぶれぬ戦略が事業拡大の鍵に ―高級時計・宝飾品の「オオミヤ」出水孝典専務―【前半】

2015年3月4日 12:24

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記事提供元:アパレルウェブ

 株式会社オオミヤ(本社:和歌山県、出水竹夫社長)は、輸入時計や宝飾品、眼鏡などを取り扱う専門店として、現在、和歌山県や大阪市など関西を中心に5店舗を構える。高級ブランドの正規販売権を数多く取得し、店舗内にブランドの世界観を体感できる専用サロンを開設。和歌山本店ではブライダルサロンやアイウェアフロアを併設するなど事業規模を拡大してきた。出水孝典専務に、オオミヤの歴史を振り返るとともに、事業戦略や今後の展望について聞いた。

■初年度で予算比3倍を達成 成功する自信があった


―まずは、御社の歴史、さらにここまで築き上げるまでの出水さんの思いや行動について、お聞かせください。

 和歌山県有田郡の湯浅という町で1978年、時計・宝飾・眼鏡の兼業店舗として創業したのが始まりです。創業から約20年間は、父親(出水竹夫社長)、母親、従業員2人の計4人で運営していました。

 父はもともと、時計職人や眼鏡の技術者として別の時計屋に勤めた後、独立して「オオミヤ」を創業しました。長男として育った私は、学生時代から家業を継ぐことを視野に入れていました。ただ、技術者出身の父親とは別のことをしたい、自分で何か新しいビジネスをしたいという考えがどこかにありました。

 そんな思いから、社会人になってから数年間は、ジュエリー業界でサラリーマンとして勤めました。ショップインショップ型の店舗だったのですが、そこで十分修行させていただきました。当時は、“ショッピングセンターが小売りの主流となる”と言われていたので、路面店が戦う相手はショッピングセンターになる。そう考えた私は、小売りの現場で内情を把握し、情報収集をしなければ、という思いがありました。就職後は、店長やエリアマネージャーも経験しました。

 その後実家に戻り、出店準備のために市場調査やエリアマーケティングなどを行いました。時計専門店を開業したのは2001年のことです。

 ただ当時は市内に出店する費用がなかったので、和歌山市から30分車で走った郊外に店舗を構えました。店舗の広さは約50坪ほど。立地がよくないため、当初は絶対に失敗すると周りに言われていましたが、悲観はしていませんでしたよ。良い商品を数多く揃えることで、たとえ遠くても車で買いに来ていただけると信じていましたから。成功することしか考えていませんでした。

 成功への鍵は、業界目線と消費者目線の両方を持ち合わせることだと思っていましたから、店舗での販売経験は非常に役に立ちました。そして、他の店舗で自分自身が消費者として商品を購入する時に感じたこと。双方を店舗運営に落とし込んでいきました。

 店舗では並行輸入品は扱わず、全て正規品のブランド商品で揃えました。また、他の時計店が行っていた値引きもしませんでした。価格競争は市場を壊すだけです。物の価値を値段で決めるのではなく、品質の良さに納得していただければ、メーカーの定めた価格で購入していただける。その考えを貫いて運営していました。

 開業してから1年間ほどは広告を出しませんでした。唯一用意したのは看板くらいでしたが、初年度は予算の3倍の売り上げを生み出すことに成功しました。その後、店舗を増築しようと思ったのですが、売り上げの規模に追い付かず、現在の和歌山本店に移転しました。

―オオミヤの強みや他社との違いはなんですか?

 最高の商品を最高の接客で提供することです。ショーケースで見るだけではなく、できる限り手に取って商品の良さを肌で感じていただくことを前提において販売しています。

 メーカーから商品を入荷した際の検品も厳しく行っています。せっかく購入していただいた商品に不具合があって、お客様の期待を裏切ってしまうことがないように、細部までこだわってチェックしています。厳重な検品を通らなければメーカーに返品をすることもありますよ。

 また、時計のベルトや部品も充実させていることも私たちの店舗の特徴です。ベルトや部品などを取り寄せる場合、通常3カ月以上かかってしまいます。それではお客様を待たせてしまうことになってしまいます。以前、私自身も消費者としてこのような経験をして残念な思いをしたことがあるので、時計以外のサービスにも力を入れています。


株式会社オオミヤ 出水孝典専務

(後半に続く)

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