【コラム 黒薮哲哉】「やられたらやり返す」ラテン人の気質とピノチェト裁判 晩年に法廷に立たされる苦痛(上)

2014年5月28日 23:07

【5月28日、さくらフィナンシャルニュース=東京】

チリの独裁者・ピノチェト将軍といえば、晩年、それもよぼよぼになってから裁判による「報復」を受け、法廷に立たされたことで有名だ。

ピノチェトは、1973年の軍事クーデターでアジェンデ政権を倒して政権についた。軍人でありながら、政界に強い影響力を持ち、自らが大統領に就任してワンマンぶりを発揮した。

反体制派の殺害はもとより、歯向かう者を次々と軍事裁判にかけたり、言論弾圧を繰り返すなどその悪名を世界に馳せた。側近たちもイエスマンに徹して、批判する者はだれもいない。その結果、1990年に政権の座を去るまで、27年に渡って同じ地位に留まり続け、人権侵害を繰り返したのである。

その一方で、新自由主義を導入して「チリの奇跡」などと言わしめるなど、自国の繁栄をPRした。

ピノチェトに対する「報復」が始まったのは、1998年になってからである。ピノチェトは83歳だった。83歳になってから、過去にやってしまった事を問われるとは、本人も想像もしなかったのではないか。最初に腰をあげたのは、スペインだった。

ピノチェトは病気療養のために、チリからイギリスへ渡った。ところがスペインの司法当局がその情報をキャッチして、イギリスへ渡りピノチェトを逮捕したのである。容疑は、軍事政権時代にチリ在住のスペイン人を弾圧したことである。

しかし、イギリス政府がピノチェトの帰国を認めたために、スペインで法廷に立たされる最悪の事態だけは免れた。

ところがチリに帰国した後、2000年になって今度はチリの市民団体がピノチェトを刑事告発した。これを受けて、裁判所はピノチェトを殺人と誘拐で起訴したのである。ピノチェト85歳である。【続】

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