リリー・ウォシャウスキー、『マトリックス』新作への関与に消極姿勢 承認するかは未定

2026年9月9日 14:45

リリー・ウォシャウスキーは、共同制作者のラナ・ウォシャウスキーと生み出した映画『マトリックス』シリーズについて、「もうだいたい終わった」と感じていると語り、今後の創作参加に消極的な姿勢を示した。一方、ワーナー・ブラザースが進める新作では、脚本・監督を担うドリュー・ゴダードがウォシャウスキー姉妹の承認を求めているという。承認の有無や製作日程、物語、出演者はいずれも明らかになっていない。

■新作への承認は「まだ分からない」

リリーはKCRWの番組「The Business」で、ワーナー・ブラザースが『マトリックス』の新作を望んでいることに触れ、「個人的には、もうその砂場で遊びたくない。だいたい終わったと思っている」と語った。

ただし、シリーズとの関係を完全に断ったとまでは述べていない。リリーによれば、ゴダードは姉妹の承認を得ずに企画を進めることを望んでおらず、そのため二人が新作の構想を多少確認する可能性があるという。

「ドリュー・ゴダードと何かが進んでいる可能性はある。彼は私たちの承認を得ない限り、先へ進みたくないようだ。だから、少しだけ首を突っ込んで、どう感じるか、ドリューに承認を与えたいかどうかを見てみるという、複雑な状況になるかもしれない。今後何かがある可能性はあるが、まだ分からない」と説明した。

ワーナー・ブラザースは2024年4月、ゴダードが新たな『マトリックス』映画の脚本と監督を担当すると発表した。ゴダードが持ち込んだ構想を基にした企画で、ラナはエグゼクティブ・プロデューサーとして参加するとされた。

ゴダードは2026年2月に、新作が引き続き開発中であり、自身が脚本を書いていると説明した。執筆を終える時期は示しておらず、公開日も発表されていない。リリーの今回の発言も、新作の製作開始や承認が決まったことを意味するものではない。

■シリーズが投げかけてきた哲学的な問い

1999年公開の第1作『マトリックス』は、機械が作り出した仮想世界を現実だと信じて暮らす人間を描いた。物語の背景には、外界についての経験が人工的に与えられていた場合、人はそれを見抜けるのかという、認識論や心の哲学に通じる問いがある。

哲学者ニック・ボストロムは2003年の論文で、技術的に成熟した文明と祖先シミュレーションを巡る「シミュレーション論証」を提示した。これは、文明がその段階へ到達する可能性、到達した文明が多数のシミュレーションを実行する可能性、そして私たち自身がシミュレーション内にいる可能性の関係を論じたものである。

『マトリックス』は、ボストロムの論文を映像化した作品ではない。映画はそれ以前に公開されており、機械が人間の感覚入力と運動出力を仮想世界へ接続する「水槽の脳」に近い構図を採用している。この情報処理構造が、後に広く議論されるシミュレーション論や脳・コンピューター・インターフェースを連想させる部分となった。

哲学者デイヴィッド・チャーマーズは『The Matrix as Metaphysics』で、シミュレーション内にいるという仮説が直ちに「その世界のすべてが偽物である」ことを意味するわけではないと論じた。世界の基礎が計算的なものであっても、その内部に存在する物や経験についての信念の多くは真であり得るという立場である。

この見方は、『マトリックス』が単純な「虚構から現実への脱出」だけではなく、経験を現実として成立させるものは何かを考える作品でもあることを示している。

■神経インターフェース研究との共通構造

映画では、マトリックスが人間の神経系に信号を送り、仮想世界での感覚と行動を成立させている。この「入力を読み替え、使用者の意図を出力へ変換する」という構造は、現代の脳・コンピューター・インターフェース(BCI)研究と共通する。

BCIは脳活動を計測し、その信号をコンピューターや支援機器の操作へ変換する技術である。Neuralinkは2024年1月、同社として初めて人間に埋め込み型BCIを装着し、参加者が脳信号を使ってコンピューターを操作する臨床試験を進めた。Synchronも血管を通じて設置する埋め込み型装置の臨床研究を行っている。

現在の代表的な用途は、まひなどによって手足を動かすことが難しい人の意思を読み取り、カーソル操作や文字入力、支援機器の制御につなげることだ。『マトリックス』のように多感覚を統合した仮想体験を構築するものではないが、神経信号を読み取り、意図を機器の動作へ変換する情報処理の流れには通じる発想がある。

人間の情報処理についても、感覚系が取り込む情報量に比べ、行動として外部に表れる情報量は非常に小さいという研究上の見方がある。2025年に学術誌「Neuron」に掲載された論考は、さまざまな行動研究を情報理論の観点から検討し、人間の行動による情報伝達量を毎秒約10ビットと見積もった。一方、感覚系が受け取る情報量は毎秒約10億ビットに達するとしている。

この数値は、脳が意識的に処理する全情報量を直接測定したものではない。それでも、膨大な感覚入力から限られた行動や判断が選び出されるという構造は、作品における知覚の制御や、何を現実として経験するかという問いを考える補助線になる。

■機械の主観性を巡る描写

『マトリックス』に登場するプログラムや機械は、単なる自動装置として一様に描かれているわけではない。エージェント・スミスは自己複製を進め、オラクルは人間の心理を理解するように振る舞う。『マトリックス リローデッド』には、プログラム同士が愛情を語る場面もある。

こうした描写は、外部から観察できる知的な振る舞いと、主観的な経験や意識をどのように区別するのかという現在のAI研究・哲学に通じる。大規模言語モデルが流ちょうな会話や推論らしい出力を生成できるようになった一方、それが主観的経験を伴うことを示す確立した判定法はない。

作品は機械に意識があると明確に結論づけるのではなく、人間から見れば感情や意思に見える振る舞いを配置することで、主体とプログラムの境界を揺さぶってきた。これは現代のAIを直接予言したというより、知的な出力を生み出す存在を人間がどう理解するかという共通の問いを先取りしたものと捉えられる。

■ボードリヤールとグノーシス主義の影響

シリーズを読み解くうえでは、ジャン・ボードリヤールの『シミュラークルとシミュレーション』も重要な手掛かりとなる。第1作の冒頭には中をくり抜いた同書が登場し、モーフィアスはボードリヤールに由来する「現実の砂漠」という言葉を使う。

ただし、ボードリヤール自身は映画が自説を忠実に表現しているとは考えていなかった。映画が仮想世界の外側に、到達可能な「本当の現実」を置いている点などで、彼の思想とは隔たりがあった。

古代のグノーシス主義も、シリーズを考えるためのもう一つの補助線になる。物質世界を不完全な創造物と捉え、その構造を知ることを解放と結び付ける思想は、ネオが世界の成り立ちを知り、システムの外へ踏み出す物語と重ねて読める。

『マトリックス リローデッド』のアーキテクトは、世界を設計し、自らの秩序を最適だと考える存在として登場する。赤い薬による覚醒や、目覚めた人々が暮らすザイオンも、隠された世界の構造を知るというグノーシスのイメージを作品に重ねる手掛かりとなる。

■変容と自己決定を描く物語

リリーは2020年のNetflix Film Clubのインタビューで、『マトリックス』にトランスジェンダーの寓意を込める意図があったと説明した。シリーズは「変容への欲求」をめぐる物語であり、当時の社会や映画会社はそれを明示的に描く準備ができていなかったと振り返っている。

当初の構想では、登場人物スイッチが現実世界とマトリックス内で異なる性別として表現される予定だったという。完成した映画では採用されなかったが、与えられた名前や役割から離れ、自分が選んだ存在として生きるという物語の構造には、その発想を読み取れる。

この観点から見ると、ゴダードが姉妹の承認を求めているという状況は、単なる製作上の手続きにとどまらない。自分たちが生み出した世界を別の作り手へ委ねるかどうかを、原作者が自ら決めようとしている構図でもある。

もっとも、リリーは自身の関与を正式に表明しておらず、ラナも今回の承認問題について公に説明していない。現時点で確認できるのは、リリーがシリーズへの本格的な復帰を望んでおらず、ゴダードへの承認については結論を出していないという点である。

■ゴダードが新作に持ち込む作風

ゴダードは、リドリー・スコット監督の『オデッセイ』で脚本を担当し、アカデミー賞脚色賞にノミネートされた。さらに、フィル・ロードとクリストファー・ミラーが監督した『プロジェクト・ヘイル・メアリー』でも脚本を手掛けた。いずれもアンディ・ウィアーの小説を原作とし、物語上の問題を科学や工学の考察によって解いていく作品である。

ゴダードが脚本・監督を務めた『キャビン』には、登場人物が暮らす世界の背後で、技術者たちが巨大なシステムを運営しているという多層的な構造がある。主人公たちは、自分たちを支配していた規則が自然法則ではなく、外部の運営者によって設計されたものだと知る。

こうした構造は、現実だと思っていた世界が管理されたシステムだったと判明する『マトリックス』と重なる。ゴダードの過去作から新作の物語を予測することはできないが、システムの内部と外部、管理者と参加者の関係を描いてきた経験は、シリーズとの接点になり得る。

オリジナル三部作でモーフィアスを演じたローレンス・フィッシュバーンは2025年のインタビューで、復帰の可能性について、誰が参加するか、脚本がどの程度優れているか、出演の打診を受けるかによると語った。『マトリックス レザレクションズ』でバッグスを演じたジェシカ・ヘンウィックも復帰に前向きな姿勢を示しているが、出演者は正式発表されていない。

■新作が向き合うシリーズの遺産

『マトリックス レボリューションズ』の結末では、人間と機械の間に停戦が成立した。『マトリックス レザレクションズ』では、停戦後の機械社会に対立や変化が生じていたことも描かれた。新作がこの先を扱うなら、目的や利害の異なる機械と人間がどのような関係を築くのかは、シリーズに残された題材の一つとなる。

もう一つの題材は、人が自ら仮想世界を選ぶという問題だ。物理世界よりも設計された環境を好む選択は、かつてのシリーズが中心に据えた強制と解放だけでは捉えきれない。人の好みに応じて情報が選別されるオンライン空間や、利用を促し続けるサービス設計を考えるうえでも、興味深い補助線を引ける。

もっとも、ゴダードは新作のあらすじを明かしておらず、これらの題材を扱うと決まったわけではない。物語が過去作の後を描くのか、別の時代や人物を中心にするのかも不明である。

『マトリックス』は、知覚、身体、自己決定、機械の主体性といった複数の問いを、アクション映画の構造に組み込んできた。現在のBCIやAI研究は作品内の技術をそのまま形にするものではないが、意図を信号として読み取り、機器の動作へ変換する仕組みや、知的な出力を生む存在をどう理解するかという共通の構造を提示している。

リリーがシリーズへの関与に消極的ななか、ゴダードがその哲学的・文化的な遺産をどう引き継ぐのかはまだ分からない。まず必要になるのは脚本の完成と姉妹による判断であり、新作の製作や公開に向けた具体的な日程が示されるのは、その後になる。

元記事: Lilly Wachowski Says She Is Done With Matrix as Simulation Science Escalates

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