IBM、モジュール型極低温システム2基を連結 量子コンピューター「Starling」へ基盤実証
2026年8月21日 13:17
IBMは2026年8月19日、2基のモジュール型極低温ユニットを連結し、単一の超低温環境として15ミリケルビン(mK)未満まで冷却することに成功したと発表した。多数の量子チップを接続できる冷却基盤へ拡張するための初期実証で、同社が2029年の提供を目指すフォールト・トレラント量子コンピューター「IBM Quantum Starling」に向けたマイルストーンとなる。
今回確認されたのは、量子プロセッサーを収容するモジュール型の極低温環境を連結して運転できることだ。量子チップをまたぐ演算性能を示した段階ではなく、IBMは2026年後半にIBM Quantum Nighthawkプロセッサーを搭載し、運用性能試験を拡大する計画である。
■2基を連結して15ミリケルビン未満まで冷却
連結された2基のモジュールは、全体で高さ、幅ともに8フィート(約2.4メートル)を超える。IBMによると、初期試験では両モジュールを連携させ、5日未満で約4ケルビンまで冷却した後、まもなく15ミリケルビン未満へ到達した。
宇宙マイクロ波背景放射の温度は約2.7ケルビンであり、15ミリケルビンは絶対温度の比で約180分の1に相当する。今回の焦点は最低温度の記録ではなく、将来のチップ間接続に必要な空間を確保しながら、複数のモジュールを一体の極低温環境として運転できた点にある。
各モジュールの真空容器は、IBMで広く利用されている量子システムと比べて最大12倍の配線スペースを備える。箱型のモジュールを密接に並べて連結でき、将来はモジュール内とモジュール間の双方で、より多くの量子チップを接続する設計となっている。
■量子ビットの増加で冷却と配線が制約に
IBMが採用する超伝導量子プロセッサーは、量子ビットを安定して動作させるため、絶対零度に近いミリケルビン領域まで冷却する必要がある。この環境をつくる装置が、ヘリウム3とヘリウム4の混合物を利用する希釈冷凍機である。
混合物は極低温になると、ヘリウム3を多く含む相と少なく含む相に分かれる。ヘリウム3が両相の境界を通過する際に熱を吸収することを利用し、混合室を継続的に冷却する。
システムを大規模化する際には、量子ビットを制御し、測定結果を読み出すための配線も増える。室温側の制御装置から極低温部へ延びる配線は熱の流入経路にもなるため、量子ビット数の増加に伴って、配線スペース、冷却能力、装置の設置面積が制約になりやすい。
モーニングスター・リサーチ・サービシズのアナリスト、ルーク・ワン氏は、超伝導材料と量子ビットの性能を維持するうえで、温度管理が重要な要素になると説明している。
QuEra Computingのチーフ・コマーシャル・オフィサーを務めるユヴァル・ボーガー氏も、量子ビットを追加するほど制御配線と熱負荷が増えるため、モジュール型のチップ接続が大規模化に向けた有力なアプローチになると指摘する。
■モジュール間接続を担う「L-coupler」
新しい極低温システムは、IBMの「L-coupler」と呼ばれる技術を使い、別々の量子チップを接続できるよう設計されている。L-couplerは、離れた量子プロセッサー間で情報をやり取りし、複数のチップを一つの大規模な量子コンピューターとして動作させるための接続技術である。
IBMフェローで量子システム担当バイスプレジデントのオリバー・ダイアル氏によると、プロセッサー同士を離して配置することで、配線に使える空間が増えるほか、プロセッサーを個別に試験、デバッグ、交換しやすくなる。モジュールを分離して輸送し、設置先で組み立てられることも、装置の展開と拡張を容易にするという。
L-couplerのような非局所的な接続は、IBMがフォールト・トレラント量子計算に向けて研究している量子低密度パリティー検査符号、いわゆるqLDPC符号とも関係する。一般的な表面符号が主に近接する量子ビット間の接続を利用するのに対し、IBMが研究するqLDPC符号では、より離れた量子ビットを結ぶ接続構造が必要になる。
IBMが2024年にNatureで発表した研究では、288個の物理量子ビットを使って12個の論理量子ビットを保持する構成を数値的に検討した。物理エラー率を0.1%と仮定したシミュレーションでは、同等の条件を表面符号で実現する場合に比べ、必要な物理量子ビットを大幅に減らせる可能性が示された。これはqLDPC符号の省資源性を示す理論・シミュレーション上の成果であり、今後はプロセッサーや接続技術を含むシステム全体での検証が重要になる。
■2027年に1,000量子ビット以上の接続システムを計画
IBMのロードマップでは、2027年までにL-couplerを使って複数のプロセッサーを接続し、計算に直接利用できるプログラム可能な量子ビットを少なくとも1,000個備えたシステムを構築する計画だ。
その前段階として、IBMは2026年後半にNighthawkプロセッサーを今回の極低温モジュールへ搭載し、運用性能試験を拡大する。今回の発表では、2基を連結した環境の冷却性能が示された一方、モジュールをまたぐ量子演算やL-couplerのフィデリティーは公表されていない。プロセッサー搭載後の試験では、低温環境を維持したままチップ間接続を安定して動かせるかが焦点となる。
2029年に計画されているIBM Quantum Starlingは、200個の論理量子ビットを使い、1回の計算で1億回の量子演算を実行することを目標としている。ニューヨーク州ポキプシーの新しいIBM Quantumデータセンターに構築される予定で、各極低温モジュールには数千個の物理量子ビットを収容する計画だ。
さらにIBMは、後継システム「IBM Quantum Blue Jay」で、2,000個の論理量子ビットと10億回の量子演算を目指している。これらは現時点での開発目標であり、プロセッサー、誤り訂正、デコーダー、制御系、極低温インフラを統合して実現するロードマップとなっている。
■現在の量子優位性とフォールト・トレラント計算の違い
IBMとQedma Quantum Computingは2026年7月、IBM Quantum HeronプロセッサーとQedmaのエラー緩和ソフトウェア「QESEM」を組み合わせ、二次元Floquet Isingモデルの量子ダイナミクスを最大74量子ビットで調べたと発表した。スーパーコンピューター「富岳」で実行した手法を含む複数の古典シミュレーションが一貫した結果を得られない領域でも、エラー緩和を施した量子計算は一貫した挙動を示したとして、両社は量子優位性の実証と位置付けている。
この成果で使われたエラー緩和と、Starlingが目標とする量子誤り訂正は役割が異なる。エラー緩和は、ノイズを含む物理量子ビットによる複数の測定結果から、誤差の影響を統計的に抑える方法である。
フォールト・トレラント量子コンピューターでは、複数の物理量子ビットに量子情報を符号化して論理量子ビットを構成し、計算中に誤りの兆候を検出、訂正する。計算を長く続けるには、物理量子ビットの誤り率だけでなく、論理量子ビットの誤りを十分に抑え続けられることが重要になる。
今回の成果は、このフォールト・トレラント計算を支える冷却・配線インフラの初期実証に位置付けられる。次の段階では、量子プロセッサーを搭載した状態での冷却性能、モジュール間接続のフィデリティー、長時間運転時の安定性などが開発上の焦点となる。
■注目ポイントQ&A
●IBMが今回実証したのは何ですか?
2基のモジュール型極低温ユニットを連結し、一つの超低温環境として15ミリケルビン未満まで冷却できることを実証しました。量子プロセッサーを使ったモジュール間演算は、今後の試験対象です。
●なぜ量子コンピューターを極低温で動かすのですか?
IBMの超伝導量子プロセッサーでは、回路を超伝導状態に保ち、熱による励起や電磁的な雑音の影響を抑える必要があるためです。こうした影響は、量子状態の保持時間やゲート操作の精度を低下させる要因になります。
●フォールト・トレラント量子コンピューターとは何ですか?
複数の物理量子ビットを使って論理量子ビットを構成し、計算中に発生する誤りを検出、訂正しながら処理を続ける量子コンピューターです。現在のエラー緩和型の計算とは異なり、誤り訂正によって論理的なエラー率を抑え、より長い量子回路を実行することを目指します。
●新しいモジュール型設計は従来のシステムと何が違いますか?
箱型の極低温モジュールを横方向に連結でき、モジュール内とモジュール間の配線スペースを拡張できる点です。各モジュールの真空容器は、IBMで広く使われている量子システムと比べて最大12倍の配線スペースを備えています。
●Starlingは現在のRSA暗号を解読するシステムですか?
Starlingの公表目標は、200個の論理量子ビットで1億回の量子演算を行うフォールト・トレラント量子計算の実現です。RSA-2048の素因数分解について公表されている代表的な研究では、数千規模の論理量子ビットや、誤り訂正を含む大規模な物理リソースが想定されており、Starlingの目標規模とは隔たりがあります。
元記事: IBM Quantum Starling Gets Its First Real Hardware: Two Cold Modules Now Linked