コスモスイニシアの高木会長に覚える、事実は小説よりも奇

2022年6月9日 11:01

 事実は小説よりも奇。そんな言葉を思い起こさせるビジネスマン人生を歩んできた、経営者に会った。コスモイニシア(東証スタンダード)の代表取締役会長の高木嘉幸氏。

【こちらも】コスモスイニシア、シニア向けマンションで居住者の繋がりと健康の関係を調査

 1983年、当時の日本リクルートセンター(現、リクルートHD)に「銀座で情報産業に関わる仕事をする」と意気込んで入社した。だが入社初日、「環境開発(後のリクルートコスモス、現コスモスイニシア)営業部への出向を命ず」という辞令を渡された。不動産事業を展開する、設立10年余のグループ子会社。社員50人~60人ほど、年商約300億円。

 高木氏は当時を「やられたぁ、と思った」と振り返る。さもありなん。未だバブル期前で業界は停滞期。背負わされた仕事は、積み重なっていた分譲マンションの「在庫販売」。幸いその後のバブル期入りで、在庫整理も進み3年後には上場。1990年度には社員約1000人、年商4000億円超に拡大していたが・・・

 タイミング的には、86年に発覚した「リクルート事件」。高木氏は江副氏をこう語る。

 「大胆と言うか奇抜と言うか・・・IBMの最新スーパーコンピュータを複数台導入して川崎にデータセンタービルを開発。同時に米国ニュージャージー州のビルを取得して『東京・ニューヨークなどの拠点を高速通信ネットワークでつないだ、グローバルな通信・データサービスを展開する』とぶち上げたんです。40年近く前ですよ・・・。社員は驚き目を白黒させますよ。ですが江副さんは、企業内のカオスを作りだすことで社員は『何とかしよう』と考え社内に活気が生まれるのだと言うんです。そう、最近の経営者で言うと孫正義さんのような人だと思う」。

 高木氏に2度目の辞令が手渡されたのは、1990年。総合不動産企業への方向が打ち出され、米国西海岸とオーストラリアのブリスベンに現地法人が設立された時だった。「オーストラリアでリゾート開発を手掛けることになり、駐在を命じられた」のである。

 が、総合不動産業化の流れに大きく立ちはだかったのが、バブル崩壊に伴う「失われた20年」という道程だった。リクルートコスモスも経営危機からの再建への歩みとなった。米国西海岸の拠点からは、早々に撤退が決まった。オーストラリアは92年にリゾート施設が完成したこともあり、極論すると高木氏1人体制で継続となったが「最初は赤字続き。黒字化したのは数年後のことだった」(高木氏)。

 リクルートコスモスでは2005年、ユニゾン・キャピタル系の投資ファンドの出資を受ける形でいわゆるMBOが実施された。リクルートグループから独立。06年9月に社名を現在のコスモスイニシアに変更した。高木氏はオーストラリア現法の社長になっていた。リゾート会社の社員は400名超、年商40億円余。「MBOという事態下で日本本社と現法の今後を考えることはしばしば、でした」とする高木氏に、08年に当時の社長から電話が入った。

 「君を今度の株主総会取締役候補の1人とするから」。瞬間、口を突いて出た言葉は「辞退」だった。が、一蹴された。結局、オーストラリア現法の社長を兼務しながら本社の取締役に就任した。不動産業界を取り巻く環境は日増しに厳しくなっていく状況下である。「毎月の会議は切羽詰まった雰囲気だった」と高木氏は当時の状況を語っている。

 そして08年のリーマンショックで不動産の流動性の枯渇、不動産価格の下落で業績は急激に悪化。俗っぽい言い方をすれば、ニッチもサッチもいかなくなった。コスモスイニシアは09年4月、事業再生ADR手続きを申請した。この過程で上席役員の大方は「退任せざるをえない」状況となり、「代表取締役」に就任することになった。ADR事業再生の先頭に立ったのである。

 改めるまでもないが、ADR事業再生の要は(債権を有する)銀行に再建策を認めてもらうこと。基本的には「債務を3年半で返済する」という案が認められた。詳細に記せば三菱UFJ銀行など多数の金融機関から(デットエクイティスワップ)などで約700億円の金融支援を受け、管理子会社コスモスライフ(現大和ライフネクスト)の大和ハウスへの売却などが前提となった。

 具体的な債務返済に、高木氏はどんな行動をとったのか。在庫販売を積極化した。と同時に後のビジネスを視野に入れた展開にも注力した。「金融機関に負担をかけることなくプロジェクトを行うためには・・・」と、こんな枠組みの事業を展開した。

 マンション開発案件を見つける。土地購入の手付金を不動産オーナーに支払うのと並行し、資金力を有するデベロッパーに共同事業を申し込む。「OK」と受けたデベロッパーに土地代金を支出してもらい、建築費用はコスモイニシアが支出する。完成時には販売活動で手にした資金で、双方が回収する。

 こんなドラマ仕立ての様な舞台を踏み続けてきた高木氏は今後について、自信を示した。「日本の不動産市場に流れてくるマネーは潤沢。分譲マンションの市場も然り。ただ、勝てる戦いをし続けていく。資金力で立ち向かってくる大手業者とは一線を画し中堅・中小型物件を軸に、これまで培ってきたノウハウを武器に中古リノベーションで差別化も図りながら・・・。そのあたりは2年前に社長に就任した髙智(亮大朗)君も重々承知してくれているので、これからのコスモイニシアを担っていってくれると確信している」。

 取材の最後に「高木さんはまさか、オーストラリアに永住の地を求めていらっしゃるのでは」と聞いた。ご家族は「オーストラリアが大好き」。ご子息(ブリスベンの不動産会社に勤務)も在豪。いかがですか・・・と問い直したが「ハハハ・・・」とかわされた。(記事:千葉明・記事一覧を見る

関連記事

最新記事