ソニーに金融機関(ソニー生命)をもたらした故盛田昭夫の執念 (終)

2018年9月12日 12:00

 第1回目の決算となった1963年3月期の保険料等収入は前期比82%増(139億8600万円)となったが、ひときわ目を引いたのは総資産規模の膨らみだった。前期の86億円から160億円余りに増えた。ただ160億円余りとはいえ当時の国内生保にあっては最下位の大正生命の約15%に過ぎず、トップの日生の1000分の1水準でしかなかった。盛田は「あの白亜のビルの玄関にすら達してない。だがうちには凄い武器というか日本の既存生保にはない強烈な営業力がある。そうファイナンシャルプランナーだ。まだ数が整備しきれてはいないが、一度その目・耳でプランナンーの実態を取材してもらえば納得がいくはずだ」と自信のほどを示した。

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 元ソニー生命常務(当時、広報担当)の山田秀樹から「ファイナンシャルプランナーは、一口で言えば一人一人が一国一城の主。保険以外の領域で営業実績を積んだ面々。論より証拠。佐藤良一という男を紹介しますから会ってみて欲しい」と勧められ佐藤に会った。そして俄かには信じがたい話を佐藤から耳にした。実話と言い切れるのは取材の場に以下に記す出来事の一方の主人公ともいうべき顧客のAが同席していたゆえである。

 佐藤はAには生涯設計から試算して、終身保険を軸にあと2000万円以上の保険金が必要と考えAにその旨を伝えた。Aは「異論はない。が、ない袖は振れない」とした。Aは中小企業の経理課長。「会社に将来性が乏しいことは仕事柄実感できる。自分の昇給・賞与・退職金が容易にはじけてしまう。要するに先々が見えている。いま以上の保険料負担は無理だ」というのだった。佐藤はAの承諾を得てAの転職先探しに身を投じた。

 佐藤はソニー生命に入る前までは、OA機器のセールスエンジニアだった。実績を残した自負がある。いまでも訪ねていけばトップと話しができる中堅企業も少なくなかった。とはいえ昔の縁だけで売れるほど生保の営業は甘くはない。しかし佐藤は研修で学んだファイナンシャルプランナーとしての自らに、現場を踏み続けるなかで自信が持てるまでになっていた。旧知の中小・中堅企業経営者に決算時期などに節税対策のアドバイスをしたり、求められたりするまでになっていた。「Aさんの転職探しを、と決意できたのもそんな頃でした」と佐藤は語った。佐藤は保険営業でも付き合ってもらえると確信した企業を中心に、39歳・この道15年のベテラン経理マンAを搦め手から正面から売り込んでいった。伸びている中小・中堅企業ほど人材不足。

 結果を急ぐとAは年収2割5分増しで、ある医療機器の中堅商社に部長代理で転職した。伊藤とAの間で保険金額2500万円増の保険契約の更新がなされた。

 盛田の執念と幅広い内外に敷かれた人脈がソニーに金融機関を引き寄せた。ソニーブランドそして独特の営業手法がソニー生命をして個人保険契約高で国内第5位に押し上げた。

 そんなソニー生命が主軸・母体となって設立されたのが、ソニーフィナンシャルホールディングス。損保がそして盛田待望の銀行が傘下で稼働している。あの世の盛田はどんな顔つき・目付きで俯瞰しているのだろうか。(敬称略)(記事:千葉明・記事一覧を見る

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