アミノ酸2つのゲルが「自己修復」と「電気分極」を両立、柔らかい生体電極材料に道―理研・ミュンスター大
2026年8月13日 13:48
理化学研究所(理研)とドイツ・ミュンスター大学などの国際共同研究グループは、わずか2種類のアミノ酸からなる自己修復性の合成ゲルを開発した。添加物を一切加えていないにもかかわらず、ゲルを構成する繊維には一方向の電気分極(正負の電荷の偏り)が恒常的に生じており、原理的には圧力に応じて電気信号を生む素材への展開が見込まれる。ただし現時点では細胞試験も動物実験も行われていない基礎研究の段階である。将来的には、脳コンピューターインターフェース(BCI)で長年の課題とされてきた「硬い電極と柔らかい脳組織のミスマッチ」を緩和する材料設計につながる可能性がある。
■なぜ柔らかい材料は電気的な機能を担いにくいのか
Nature Communicationsに今月掲載された論文によると、2種類のアミノ酸だけから作られた合成ゲルが、圧力を受けると電気信号を生じ、機械的に破壊されても一晩で自己修復し、構造内のすべての繊維に沿って永続的な電荷の偏りを保つことが示された。ペプチド系の材料でこれら3つの性質が同時に成り立った例はこれまでになく、組み合わさることで脳コンピューターインターフェース設計における最も手強い工学的課題の一つを解決しうるという。理研のプレスリリースによれば、3つの特性はいずれも、芳香族基をペプチド鎖の末端から側鎖へ移すという単一の分子設計上の判断に由来する。側鎖へ移したことで、繊維をつなぎ留める役割を果たしながら、鎖の末端が持つ電気的な正負の極を露出させたまま整列させられるようになった。
この材料が向き合う課題は、現代の生体医療デバイスの中核にある、よく知られたミスマッチである。脳組織の硬さ(専門的にはヤング率)はおよそ1キロパスカル(kPa)にすぎない。一方、脳とのインターフェースに使われる金属やセラミックの電極は、その100万倍も硬い場合がある。硬いインプラントが柔らかい神経組織に接すると、周囲と異なる動きをする異物に対して身体が示す通常の反応、すなわち瘢痕組織の繭でデバイスを包み込む反応が起こる。埋め込み型神経微小電極の柔軟性に関する研究で詳しく報告されているプロセスだ。数カ月のうちに、このグリア瘢痕が信号品質を劣化させ、インプラントは事実上機能しなくなる。超柔軟な神経電極に関する研究が示すように、現在利用できるインプラントの中でも柔軟性の最適化が進んでいるNeuralinkの糸状電極でさえ、周囲の脳組織より数桁高い弾性率を持つ。
ヒドロゲル(水を含んで膨潤した柔らかいポリマーの網目)は、理論上はちょうどよい機械的範囲に収まる。公開されているヒドロゲル研究によれば、その硬さは5桁にわたって調整でき、柔らかいペプチドゲルはおよそ1〜10 kPaと脳組織に匹敵する。しかし従来のペプチドヒドロゲルは、構造上のトレードオフを避けられなかった。機械的に強くするには、ペプチド鎖の末端を大きな芳香族基でキャップし、繊維を規則正しく積み重ねさせる必要がある。ところが、その同じキャップが、生体電子材料として役立つはずの電気的な極性を奪ってしまう。キャップを外せば電気的な極性は残るが機械的にはもろく、一体的な足場というより、ゆですぎたパスタのような状態になる。
■芳香族基を側鎖へ移す異例の設計
理研のチームは、単一の分子でこのトレードオフの両側を同時に解いた。
Nature Communicationsの論文で詳述されているように、研究の中心にある分子はFQ(Pyr)と呼ばれる。フェニルアラニン(F)とグルタミン(Q)という2つのアミノ酸から成る化合物(ジペプチド)で、ピレン基(Pyr)が鎖の末端ではなくグルタミン残基の側鎖に結合している。ピレンは4つのベンゼン環が縮合した平面性の高い大きな芳香族分子で、ピレン同士が面と面を向かい合わせて積み重なる傾向が際立って強い。化学者がπ-πスタッキングと呼ぶ非共有結合性の相互作用で、分子同士が磁石のように引き合う様子にたとえられる。
ピレンを末端ではなく側鎖に置いたことで、研究チームは2つの要素を同時に保った。キャップ型のペプチドゲルに機械的な強さを与える強いスタッキング相互作用と、互いに反対の電荷を帯びる自由な末端アミノ基・カルボキシル基である。これらの帯電した末端が自由なままだと、キャップ型ペプチドにはできないこと、すなわち周囲の水分子を構造化された水素結合ネットワークへと組織化することができる。
ゲルの作製は、FQ(Pyr)を強アルカリ性の水に溶かし、グルコノ-δ-ラクトン(水中で穏やかに加水分解し、一度にではなく均一にpHを下げる化合物)を使ってゆっくり酸性化するというものだ。溶液がおよそpH 4に達するころには、ペプチドは透明で自立したゲルへと自己組織化している。臨界ゲル化濃度(ゲル形成に必要な化合物の最小量)はわずか0.1重量%で、ピレンの代わりにより単純なフェニル基(ベンゼン環)を使う構造的に近い比較化合物FQ(Ph)の約7.5分の1である。
■記録的な解像度のクライオ電子顕微鏡が開く「設計のループ」
分子スケールで実際に何が組み上がっているのかを知るため、チームはクライオ電子顕微鏡(クライオ電顕)を用いた。試料をガラス状の氷の中に急速凍結し、電子線で観察することで、本来の構造を保ったまま画像化する技術である。Faraday DiscussionsのSonaniらの論文に記載されているように、ペプチドヒドロゲルのこれまでのクライオ電顕研究は、柔らかい合成材料につきものの不均一性と動的な乱れという根本的な壁により、およそ3オングストローム(Å)の解像度にとどまっていた。FQ(Pyr)の繊維はこの壁を破り、チームは全体で1.7 Åの解像度を達成した。らせん状集合体の解析としては過去に記録された中でも最高水準の一つであり、合成超分子ゲルとしては新たな基準を打ち立てた。
1オングストロームは100億分の1メートルで、1.7 Åは1ミリメートルの約600万分の1という細部まで見分けられる細かさであり、個々の原子のスケールに迫る。この解像度によりチームは、各繊維内の炭素や窒素、さらには水素原子の正確な位置を読み取り、推測ではなく実測データから詳細な分子モデルを構築できた。
モデルが明らかにしたのは意外な事実だった。ゲル内のナノファイバーはいずれも、同一で精密に定義されたらせん構造を持っていた。構造のばらつきが大きいのが常だった合成材料としては、際立った結果である。公開された構造解析によると、各繊維は直径100 Åで、1ステップあたりの軸方向の上昇(らせんライズ)が2.358 Å、ねじれが90.6度の4条らせん(4-start helix)を組む。断面では、各繊維層に4つの回転対称なユニットが含まれ、それぞれが小さな水路を囲む12個のFQ(Pyr)分子から成る。その結果、繊維1本あたり合計5本の水で満たされたチャネル、すなわち直径約8 Åの側方の細孔4本と、約15 Åの中央の細孔1本ができる。中央の細孔の太さは、人間の髪の毛の約5万分の1にあたる。
理化学研究所 環境資源科学研究センター 拡張ケミカルスペース研究チームの伊丹健一郎チームディレクターは、理研の公式発表で次のように述べている。「初めてクライオ電子顕微鏡の構造を見たときは、興奮してその晩は眠れませんでした」「これほど小さく構造的に単純な分子が、これほど美しいらせん状の超分子ナノファイバーへと自己組織化することには驚かされました」
クライオ電顕でのブレークスルーは、この特定の材料にとどまらない。論文の著者らは、この成功がクライオ電顕を合成超分子材料化学における真の設計ツールとして確立するものだと明言している。事後的に適用される単なる分析手法ではなく、研究者が原子に近い精度で分子構造を検証し、改良し、反復することを可能にするフィードバックループになるという見立てだ。これまで、合成ソフトマテリアルは大部分が無秩序すぎて、そのような構造解像度を得ることができなかった。FQ(Pyr)の結果は、適切な分子設計によって高解像度クライオ電顕を阻む無秩序さを取り除けることを示しており、プログラム可能なソフトマターというより広い分野にこの技術を開く可能性がある。
■分子の並び方から電気的な分極が生まれる理由
ゲルの電気的性質は、添加物によって組み込まれたものではない。各繊維の中でペプチド分子がどう並んでいるかから直接生まれる。すべてのFQ(Pyr)分子は、アミド窒素原子がそろって分子の片側を向き、カルボニル酸素原子がそろって反対側を向く配座をとる。論文の構造データによると、この向きはプロトフィラメント内のすべての分子で一貫し、プロトフィラメント同士も同じ向きを保ったまま積み重なる。その結果、正味の電気双極子が生じ、繊維の全長にわたって走ることになる。
これは物理学で極性材料と呼ばれるもので、正と負の電荷の重心が固定された軸に沿って恒久的にずれている材料を指す。材料全体が正味の電荷を帯びるという意味ではなく、電荷の偏り、すなわち分極が固定されているという意味である。チタン酸ジルコン酸鉛(PZT)のような結晶性の無機材料では、この性質が圧電性(機械的に圧縮されると電圧が生じる性質)をもたらす。PZTは産業用途で主流だが、硬くもろく、鉛を含む。グリシンのようなアミノ酸系の有機材料も天然の圧電挙動を示すことが知られているが、圧電性生体材料の研究で報告されているとおり、結晶粉末ではなく柔らかく自己修復するヒドロゲルでこれを実現することは、質的に異なる。
FQ(Pyr)の電気分極は、埋め込まれた粒子や結晶ドメインではなく、分子スケールの構造秩序から生じる。そのため原理的には、電子部品を一切加えることなく、機械的な圧力に応じて電気信号を発生させ、外部電場に応答し、秩序だった水路を通るイオンの移動を方向づけることができるとみられる。理研のプレスリリースに記載されているように、伊丹氏のチームは、電場応答性の人工筋肉、あらかじめ決まった分解スケジュールではなく電気信号で作動するスマートドラッグデリバリー、神経刺激用の生体適合性電極などを、当面の応用先として挙げている。
■分子レベルの「自己修復」とは何を意味するのか
研究チームがゲルを激しく振って破壊し、繊維ネットワークを断片化させたところ、24時間以内に自発的に均質で自立した構造が再形成された。実験結果によると、同じチキソトロピー測定で、高いせん断ひずみを取り除いた直後にゲルの貯蔵弾性率が回復することも示されており、より短い時間スケールでの部分的な回復はさらに速いことが示唆される。
自己修復の分子的な理由は、クライオ電顕の構造から直接読み取れる。隣り合うペプチド層を橋渡しする秩序だった水分子は、拡張した水素結合ネットワーク、すなわち最初の自己組織化を駆動するのと同じネットワークの一部を成している。せん断で繊維ネットワークが壊れても、これらの水分子は水素結合を組み直せる状態にとどまり、ペプチド分子を本来の配置へと導く。化学物質を封入したカプセルや外部からの加熱に頼る自己修復システムとは異なり、FQ(Pyr)の修復は完全に材料自身に内在するもので、そもそもゲルを組み上げたのと同じ非共有結合力によって進む。
これはインプラント設計にとって具体的な意味を持つ。長期間体内に留置する神経インターフェースでは、機械的に損傷したデバイスを取り出して交換する必要が生じることが大きな実用上の課題だが、自己修復する材料で作られたデバイスであれば、取り出しや交換なしに回復できる可能性がある。
■単純な化学が生んだ複雑な成果
この研究を語るうえで見逃せないのが、分子構成要素の簡素さである。FQ(Pyr)はアミノ酸ユニット2つと芳香族タグ1つしか含まず、これほどの構造的精度と機能の豊かさを備えた材料としては際立って無駄がない。ペプチド合成はスケールアップが容易で、2残基の配列は合成化学の中でも最も単純な標的の一つだ。組み上げの工程自体も、水溶液をゆっくり酸性化するだけでよく、鋳型も触媒も複雑な処理も要らない。
「この研究で最も印象的なのは、その単純さと美しさです」と伊丹氏は理研の公式発表で述べている。「最小限の分子設計から、創発的な電気的性質を備えた、並外れて秩序だった自己修復構造が生まれています」
論文は、上田彩果氏(理化学研究所/ミュンスター大学/名古屋大学)とGeorge Broutzakis氏(ミュンスター大学)が共同筆頭著者、伊丹氏、Bart Jan Ravoo氏(ミュンスター大学)、Christos Gatsogiannis氏(ミュンスター大学)が責任著者を務めた。π拡張ヒドロゲルの合成とバイオ応用に関する特許は、理化学研究所とミュンスター大学が共同で出願している(特願2026-086868)。
■今後の展望
この論文が確立したのは、FQ(Pyr)の基本的な構造と材料科学である。その科学を機能的な生体医療デバイスへと変えていくには、細胞培養での生体適合性試験、長期的な機械的耐久性の研究、そして特定のデバイス形状に合わせてゲルの電気的性質を調整する技術について、今後の研究が必要となる。今回の論文には、in vitro(試験管内)の細胞データもin vivo(生体内)の動物実験結果も含まれていない。材料科学から生体医療デバイス開発へ進むうえで標準的なこれらのステップは、いずれもこれから先の課題だ。
それでも、原理実証としての意味は大きい。2つのアミノ酸からなる構成要素が、pHの変化だけで組み上がり、強く、柔軟で、自己修復性があり、電気的に分極した材料を同時に成立させたからである。これを可能にした分子設計と高解像度クライオ電顕の融合は、材料科学のより広いトレンド、すなわち分子の相互作用を一つずつ積み上げるボトムアップで物質を設計し、その設計を原子に近い解像度で検証する能力の高まりを映している。
出典:Ueda et al., "Atomic-precision π-driven peptide hydrogel nanofibers with ordered water channels," Nature Communications 17, Article 7622 (2026). doi: 10.1038/s41467-026-75984-9. 本研究は、理化学研究所 環境資源科学研究センターおよび開拓研究所(埼玉県和光市)において、ミュンスター大学(ドイツ)との共同で実施された。資金提供:JSPS科研費(25H00429)、JST-ASPIRE(JPMJAP2508)、理研開拓研究プロジェクト、ドイツ研究振興協会(IRTG 2678, project ID 437785492)。
■注目ポイントQ&A
●電池やワイヤーなしで、この自己修復ゲルはどのように電気を発生させるのですか?
FQ(Pyr)ヒドロゲルの電気的性質は、添加物ではなく分子の並び方そのものから生まれます。各ナノファイバー内のすべてのペプチド分子が同じ方向を向いており、片側にわずかに正の電荷を帯びた窒素原子、反対側にわずかに負の電荷を帯びた酸素原子が並びます。この均一な配列によって、繊維の全長に沿って正負の電荷が分離した永続的な双極子(分極)ができます。ゲルが機械的に圧縮されると、この電荷の分布がそれに応じてずれ、電気信号が生じると考えられます。圧電体を圧縮すると電気が発生する、ライターの着火装置と同じ原理です。電池もワイヤーも圧電セラミック粒子も要らず、分子構造そのものが発電体として働くことになります。
●この材料は、既存の圧電性ヒドロゲルや導電性ヒドロゲルと何が違うのですか?
圧電性ヒドロゲルの医療応用に関する総説で整理されているように、既存の圧電性ヒドロゲルの多くは、柔らかいポリマー基質の中にチタン酸バリウムやチタン酸ジルコン酸鉛といった圧電セラミック粒子を埋め込むことで電気的性質を実現しています。粒子が電気的な機能を担い、ヒドロゲルが柔らかさを担うという具合に、二つが単に組み合わされているだけです。一方、FQ(Pyr)には粒子が一切埋め込まれておらず、電気的な分極はペプチド分子の並び方という分子スケールの構造秩序から完全に生まれる、内在的な創発特性です。劣化や剥離の起点になる粒子と基質の界面が存在しないため、この違いは生体適合性やデバイスの長期性能において重要になります。
●このようなゲルは、実際に脳インプラントの金属電極を置き換えられるのでしょうか?
まだその段階ではありませんし、研究者らも置き換えられるとは主張していません。この論文は基礎科学の成果であり、クライオ電子顕微鏡による構造解析と標準的な材料評価を用いて、FQ(Pyr)が材料として何をできるのか、そしてそれはなぜかを明らかにしたものです。この研究には細胞培養実験も、動物への移植データも、デバイスの試作もありません。実証された生体材料の特性から臨床用の神経インプラントに至るまでには、通常10年以上かかります。この研究が示したのは、これまで硬い金属やセラミックでしか得られなかった機械的性質と電気的性質の組み合わせを、柔らかく生体適合性のある材料でも担えるという原理実証であり、これまで存在しなかった設計の余地を開くものです。
●なぜ1.7オングストロームというクライオ電子顕微鏡の解像度が、この分野で特に重要なのですか?
この研究以前、合成超分子ゲルのクライオ電子顕微鏡観察は、柔らかい合成系に内在する無秩序さと不均一性のため、およそ3オングストロームの解像度に制限されていました(近年の技術進歩の主な対象となってきたタンパク質とは対照的です)。3オングストロームでは、分子構成要素のおおまかな形は特定できても、原子の位置を確実に区別することはできません。1.7オングストロームであれば、それが可能になります。実用上の意味は、クライオ電子顕微鏡が「材料が事後的に何に組み上がったか」を調べるだけの道具ではなくなり、「材料が設計意図どおりに組み上がったか」を原子レベルで検証する道具になる点にあります。これにより、超分子材料工学において真の「設計・構築・検証」ループが可能になります。
元記事: Self-Healing Peptide Gel Carries Permanent Electric Charge Without Any Added Components