「センス」で終わらせず「違っていること」を考える

2018年11月29日 18:35

 「センスがいい」とは、基本的に誉め言葉で使われます。
 いろいろなスポーツでの「競技センス」、音楽や美術などでの「芸術センス」をはじめ、これは一般的な仕事の中で言われる「経営センス」「営業センス」「技術センス」といったものがあります。

 「競技センス」のようなものは、そもそもの体の作りや体力が違ったり、「芸術センス」ではその人固有の感性の違いであったり、他人では真似できない要素がたくさんあるので、それはセンスというほかありませんが、仕事で発揮する能力については、必ずしもそうとばかりは言い切れません。

 「あの社長は経営センスがある」「あの営業はセンスがない」など、仕事の結果の良しあしを、センスの一言で解決していることは、結構良くありますが、気をつけなければならないのは、センスに理由を求めると、そこで思考停止に陥ってしまうことです。
 何か良かったら「センスが良い」と言われるのか、反対に「センスがない」と言われるのは何をした時なのか、センスの言葉だけでは具体的にわかりません。
 そもそもセンスが良いと言われる本人でさえも、なぜそう言われるのかをわかっていなかったりしますし、センスが悪いという指摘では、本人はなおさら、何をどうすればよいのかがわかりません。

 もちろん、その人でなければできないセンスにかかわる要素はありますが、仕事に関してはそればかりではありません。結果が違うということは、必ずそこに至るまでのプロセスに違いがあります。
 この違いに注目し、センスが良いと言われる人の行動パターンを分析、可視化して、それと同じように行動すると、同じような結果につながるといわれます。センスには真似できる部分があるということです。
 以前から言われている「コンピテンシー」というのはまさにそのことで、ハイパフォーマーの行動を分析して、それを真似ることで成果につなげる方法です。

 しかし、「センスが良い」と言われる人は、概してそれを直観的にやっていて、しかも関連する要素の組み合わせは多岐に渡っていて、数多くのパターンがあるので、他人になかなか説明できません。
 成果の良し悪しを「センス」と言って終わらせてしまう理由には、「説明しづらい」ということも影響しているでしょうし、「見て覚えろ」というような育成方法も、言葉で説明しづらい結果として、そうなっていることがあるでしょう。

 個人の「センス」としか言いようがない部分は確かにあります。一方、行動を分析することで真似できるセンスもあります。センスと言っていた中身を分析してみると、「当たり前のことをやっていたかどうか」「地道な継続をしていたかどうか」というような、実は基本的なことだったケースは意外に数多くあります。

 「センス」の一言で片づけず、「違っていること」を探し出していくことで、改善できることはまだまだあるはずです。

※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら

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