2020年東京オリパラが「AI/IoT×障害=?」の答えとなる理由

2016年6月20日 16:47

 【連載第5回】IoT/AIによる「障害者のソーシャル・インクルージョンの実現」を目的に設立された「スマート・インクルージョン研究会」代表の竹村和浩氏による連載第5回。今回は、同研究会発足のきっかけと当プロジェクトの意義について語っていただきます。

2020年東京オリパラが「AI/IoT×障害=?」の答えとなる理由

記事のポイント

 「AI/IoT×障害者とのインクルージョン」を探る本連載第5回では、スマート・インクルージョン研究会代表の竹村和浩さんに、2020年の東京オリンピック・パラリンピックがAI/IoT、ソーシャルインクルージョンに与えうる意味についてお話いただいています。

●存在が世界を与える

●この子らを世の光に

●ロンドン・オリンピック成功のカギとは?

●東京に障害者視点のスマートシティーを!

●東京オリパラは千載一遇のチャンス


前回までの記事はコチラ

 【第1回】障害があってもなくても誰もが同じ地平で生きていく―インクルーシヴ社会を理解する
http://biblion.jp/articles/DQ7lr

 【第2回】分離からインクルージョンへ! 障害のある子もない子も同じ場で学ぶ教育とは?
http://biblion.jp/articles/tJ5k2

 【第3回】障害を持って生まれた娘が教えてくれた、インクルージョンの大切さ
http://biblion.jp/articles/PFWEl

 【第4回】“子供より先に死ねない親たち”の思い
http://biblion.jp/articles/H9trE

存在が世界を与える

 私には障害(ダウン症)のある娘がいます。
 娘は今年、高校に入学しましたが、障害のある娘を授かってから長い年月を経た今、心から「その通りだ」と実感している言葉があります。それは、ドイツの哲学者・ハイデッガーが残した「存在が世界を与える」という言葉です。

 障害を持つ人たちの中で、とりわけ知的障害を持つ人たちが社会で経済生産性を持つことは非常に難しいことです。計算ができなかったり、判断力が弱かったり、あるいは、読み書きすらできないケースもあります。それぞれに軽重はありますが、ここで重要なのは、「経済生産性だけが、人の価値を決めるものではない」ということです。無論、経済生産性は必要なことですが、「それだけが、世の中の生存の基準であってはならない」のです。

 仏教の中にも、同じような言葉があります。
 「この世の中に存在するもので、不必要なものは何一つない」、という言葉です。
 この考え方も、ハイデッガー同様「どのような存在であっても、それぞれが世の中で果たすべき大切な役割がある」ということを教えてくれています。
 とりわけ、障害をもってこの世に生まれてくる子供たちは、とても大きな役割をもって生まれてきていると、ここにきて、私は強く感じるようになりました。
 どのような役割か? それは、「私たちの社会のあるべき姿を指し示す」、という役割です。

 今、日本も世界も、決してすべてが豊かで充足された社会ではありません。であるから、その厳しい世の中を生きられない人を排除するのではなく、様々な障害を抱えた人たちも暮らしやすい社会を目指すべきだと思うのです。

この子らを世の光に

 1946年、日本で初めての重度精神薄弱(知的障害)児童のための施設「近江学園」を創設し、その運営に一生を捧げた糸賀一雄氏の言葉に、つぎのような言葉があります。
 *注:精神薄弱は差別用語として現在は使われず「知的障害」という言葉が使われています。

 「この子らを世の光に」

 「この子らに」ではなく、「この子らを」世の光に、という言葉は、まさに多くの障害を持つ子を授かった親たちが、そしてそれに関わる人たちが心から実感していることではないかと思います。無論、そう感じていない人もいるでしょう。しかし、少なくとも私自身は「娘が家族の一員としていてくれるだけで、“存在”してくれるだけでありがたい。たとえ、経済的な生産性が弱かったとしても、その存在が、私たち家族を家族足らしめてくれている」と感じています。
 また、知的障害を持つ子供は、その存在自体がその子たちだけでなく、その周りの人たちの心を変える力があり、もっと言えば、「周囲の人たちを救う力」をも持っていると思うのです。

 とはいえ、知的障害者を取り囲む社会の壁は未だ大きく、上記のような障害を持つ子供、人たちの存在価値を皆に理解してもらい、障害者にとって理想の社会を実現するには、まだまだ多くの課題が残されているのが現実です。
 今私は、その課題に取り組み解決するために「スマート・インクルージョン研究会」という団体を立ち上げ活動しているのですが、この活動を開始しようと思った、あるきっかけがありました。それは2012年に開催された「ロンドン・オリンピック」です。

ロンドン・オリンピック成功のカギとは?

 戦後ロンドンでオリンピックが開催されるのは、この大会が2回目でしたが、当初ロンドンっ子たちは「オリンピックよりも、もっと他のことにお金を使うべきだ」、と冷ややかな反応だったといいます。しかし大会が終わってみると、結果的に大成功。そしてその成功の鍵が「パラリンピック(身体障害者の大会)」にあったことは、日本では意外と知られていません。

 ロンドン市はオリンピックよりも、その後に開催されるパラリンピックに大々的なPRをして力を入れると発表し実行しました。その結果、チャリティーやフィランソロピー(企業による社会貢献活動)に関心の高いロンドン市民の心をつかみ、選手村の周囲の商店街は、こぞってバリアフリー化に力を入れたといいます。
 またスーパーマーケットなどでは、すべての商品棚を低く設定し直しました。パラリンピックに参加する車椅子の選手たちが、車椅子に座ったまま野菜などの商品を手に取れるように、というバリアフリーによる合理的配慮を施したのです。

 こうした取り組みを世界中のマスメディアが取り上げ、「ロンドンオリパラは素晴らしい!」と世界に喧伝されました。またテレビCMでもオリパラの選手が多く取り上げられ、スポンサーも、オリンピック選手よりむしろパラリンピックの選手に多くついたそうです。
 このようにロンドンは、まさに障害者の視点に立った合理的配慮によって、オリパラの成功を勝ち取ったといっても過言ではないのです。
2020年が大きな転換点となりえる

2020年が大きな転換点となりえる

東京に障害者視点のスマートシティーを!

 そしてその翌年の2013年、東京へのオリンピック招致が決定しました。
 東京オリンピック開催が決まったとき、日本の素晴らしいプレゼン(私は英語の企業研修に関わるものとして、そのプレゼンの完成度にも胸をときめかせました)の中で、私が暮らす東京中央区にある晴海地区が、東京オリンピック・パラリンピック選手村の建設予定地であることを初めて知りました。そしてその時、ふと頭に浮かんだのが、先に述べたロンドン・オリンピックの成功でした。日本でもいつかロンドンのような取り組みができないだろうか、と考えていた私は、その時こう思ったのです。

 「東京オリパラ選手村を、“障害者の視点からのスマートシティー”のモデルハウス(ショーケース)にできないだろうか?」

 つまり、「2020年に東京オリパラが終わった後、選手村跡地をIT、ICTの技術で、障害者の視点からのスマート・ハウス、スマート・コミュニティーのモデル地区にしよう」という発想です。

 私はこの構想を実現すべく、その日から精力的に活動を開始し、実際にこのプロジェクトを推進するために、先ごろようやく「スマート・インクルージョン研究会」を発足したのです。
 ちなみに、もともと理系の高校(工業高校)に通っていた私は、テクノロジーも大きな興味の対象でした。また、父が一級建築士であったこともあり、建築にも深い関心がありました(フランク・ロイド・ライトの有機的建築設計が好きでした)。そのため、「スマートシティーを作りたい!」という考えも、私にとってはごく自然な発想だったのです。

スマートインクルージョン研究会

スマートインクルージョン研究会障害は、本人にあるのではなく社会にこそ存在する。ITの力で障害をスマートに取り除き、障害を持つ人であっても、社会に含まれる(include)社会の実現を目指す、スマート・インクルージョン研究会さんのサイトです。

東京オリパラは千載一遇のチャンス

 今私が推進しているこのプロジェクトには、大きく2つの狙いがあります。それは、

 1.スマート化技術の国内統合が可能になる
 2.インクルージョンという言葉が日本全体に広まる好機となる

 ということです。

 1.の「スマート化技術の国内統合が可能になる」とは、つまり、スマート化(社会の自動化)こそが、世界の次世代成長産業の本命であり、おそらく日本が経済成長するラストチャンスである。しかも、障害者の最大の悩みである、親亡きあとを託せるのは、この社会の自動化の力が大きな助けとなる。という考えです。

 2.の「インクルージョンという言葉が日本全体に広まる好機となる」。これは、障害者の視点からの技術開発が、日本のIoT/AI技術の質の向上に大きく役立つということ。また、東京だけでなく、日本中、世界中が注目するオリパラというイベントの選手村が(障害者の視点からという意味で)「インクルージョン」という言葉を使用してくれれば、一気に、「インクルージョン」という言葉が日本中に広まる契機となる、という考えです。

 1980年に、障害の定義についての大きな転換がなされました。それは「障害は、その人本人にあるのではなく、“障害のある人を受け入れられない社会の仕組み”にある」、というものです。いわゆる、impairment (医療モデル)から、disability(社会モデル)への180度の障害の定義の転換です。
 一昨年日本も批准した、UNCRPD:国連障害者人権条約(United Nations Convention of the Rights of the People with Disabilities.)は、まさにこの考え方に、基づいて作られました。
 ここには、すべての障害のある人たちのインクルーシブ教育へのアクセスが謳われており、“社会の側にある障壁”を如何にして取り除いていくか、その規範が書かれてあるのです。

 社会の側にある障害、障壁をなくし、障害を持つ人々が心から安心して暮せる安全な街・社会。その基盤となるのが「スマート・インクルージョン」であり、それを実現し世界にアピールする千載一遇のチャンスが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックである。そうした確信を持って、私は日々活動しているのです。

 (次回へ続く)

この記事の話し手:竹村和浩さん

この記事の話し手:竹村和浩さん立教大学英米文学科卒業。2016年、元Google米国副社長の村上憲郎氏(現・株式会社エナリス代表取締役)とともに「スマート・インクルージョン研究会」を設立、代表・事務局長を務める。ビジネス・ブレークスルー大学英語専任講師、公益財団法人日本ダウン症協会国際担当、知的障害者手をつなぐ親の会育成会中央支部総務、APDSF(アジア太平洋ダウン症連合)事務局長。著書多数。●スマート・インクルージョン研究会 http://www.smartinclusion.net/

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