マヤ文明、公共祭祀建築は定住共同体が確立される前から存在

2015年3月24日 11:14

 茨城大は24日、青山和夫教授(人文学部)が領域代表を務めるマヤ文明の定住共同体の発展に関する査読論文が、米国の最高学府である米国科学アカデミーの学術誌 Proceedings of the National Academy of Sciences USA (PNAS) に掲載されたと発表した。科学研究費補助金新学術領域研究「古代アメリカの比較文明論」の成果の一部。

 この研究は、紀元前1000年ごろより、現在のメキシコ南東部からグアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス西部にかけて興隆したマヤ文明の起源と定住共同体の発展を新たに解明しようとするもの。茨城大、アリゾナ大、カリフォルニア大デービス校、総合研究大学院大、鳴門教育大らの研究者たちが、グアテマラのセイバル遺跡において調査を行った。

 マヤ文明の成り立ちに関して従来の学説によれば、「定住集団と非定住集団は、それぞれ別の共同体を形成した」「定住の後に大規模な公共祭祀建築が建設された」とされてきた。しかし今回のセイバル遺跡の研究では、次の点が初めてわかった。

 ①定住という新たな生活様式は、ある地域の全ての社会集団の間で必ずしも同時に起こらなかった。②大規模な公共祭祀建築は、定住共同体が確立された後ではなく、それ以前に建設された。③居住の定住性の度合いが異なる多様な集団が携わった。④共同体の公共祭祀及び公共建設の共同作業は社会的な結束を促進し、マヤ文明の定住共同体の発展に重要な役割を果たした。

 これによって、マヤ文明の初期の姿がより明らかになったという。(記事:町田光・記事一覧を見る

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