最低保証年俸の設定で産業構造の転換とイノベーションを

2014年3月28日 17:03

 筆者は日頃は戦略の実行力を高めるための支援、そのための組織開発や、リーダーシップを実践的に開発するコンサルタントとして活動している。

 そんな中で、日本ではどうにも個々の企業の努力だけでは超えられない壁があるのではないかと感じた。政策提言というには大げさだが、一つの面白いモデルを考えついたので、そのコンセプトを説明し、皆様からの反応を教えていただきたいと考え、本稿にまとめてみることにした。

 一言で言うと、労働市場の流動化に必要な制度的な施策だ。それは18歳から65歳までの全勤労者に、ある考えに基づいた最低年俸を保証するというものだ。

■資本主義の枠組みを用いた社会主義国日本の活性化

 1960年代の高度成長期に日本は、資本主義の枠組みを使いながら、固有文化を反映させた運用をした結果、出来上がったのは社会主義的な仕組を取り入れた経営思想だ。結果としてこれが平成元年バブル期から、今日に至る間の産業構造の転換を遅らせる理由になった。

 典型的なものが、年功序列であり、長期雇用という日本的雇用慣行だ。企業内労働組合も併せて3種の神器と呼ばれる。一時期は成長を支え、結果的に日本の地位を築いた仕組である。しかし成長が成熟し、人口動態も変わり、グローバル競争の中で産業構造も変わった今、その役割は終えた。むしろ、雇用が職ではなく会社に紐づくような勤労価値観を産んで、変革を妨げている。

 これからは就社でなく、就「職」。賃金は、正規社員か非正規かは除き、同一職務、同一賃金にすべきであるという論客は多い。私も同感だ。今大切なのは、新しい価値を世に生み出すイノベーションや、市場自体が伸びている業界で実際の成長を、どう効率的に発生させられる仕組を国として持つかだ。

 元来日本人は、工夫好きであり、職人志向が強いと筆者は思っている。日本の成長の中で、工夫や創造は大きな役割を果たし、新幹線から自動車、ウォークマンまでは世界を席巻してきた。それには、失敗を考える余裕なく、坂の上の雲を目指し続けなければならない時代背景があった。

 しかし、現在の大企業では、新しいこと、これまでと違うことを進めるための意思決定は構造的に後手に廻る。新しい取組そのものが既存の企業の価値観と逆のことをしなければならず、人事評価の仕組みもそれを推し進めるものではないからだ。クリステンセン教授の唱えるイノベーションのジレンマが産業構造の転換を必要とする日本株式会社全体で起っていると考えられる。

 成長国では生活必需品市場は成熟した今、提供すべき価値は何なのか。私は、日本国内市場にも、海外に向けた市場創造についても、まだまだ日本企業が価値を生み出すことが可能だと思っている。しかしながらその価値を創りあげるための企業活動・経営を切り盛りできずに競争に負けているのが今日の日本だ。

 国内だけでなくグローバルに独自性や価値を提供できるような仕組や企業運営の形を生むためのダイナミズムを生み出す。そのための1つのきっかけになればと思い、本稿を書いている。

 具体論に入ろう。私が提案する最低年俸保証を具体的な数字にしてみた。これらの数字には検証が必要だ。しかし、物事を具体的にするためには、「仮にこうした状態が可能であったとしたらどうなるか。その状態を作るためには、何が必要か」という思考を導く必要がある。そのため、あえて数字を具体的に置いてみた。

 尚、以下の中では前提として勤労者とは、正社員人数15人以上、3年以上の黒字を出している企業の「全て」を対象とした議論と考えていただきたい。その定義や理由も必要だ(私の仮説はある)が、こうした具体的な数字は、むしろ議論を具体化するための装置だと改めて思っていただきたい。

■2つの年齢層に向けた最低保証年俸案

グループ1:
 18歳から45歳までの企業で働く人に、年齢×10×1.5の最低年俸を保証する。
 保証の負担は、企業が50%、国が50%とする。この最低年俸以上の支払いは企業の自由意志で可能であり、その追加分は全て企業負担とする。

グループ2:
 46歳から65歳までの全員に、年齢×10×1.5×50%の最低給与を保証する。
 保証の負担は、全て企業負担とする。

グループ3:
 本稿では直接のテーマとしては取り扱わないが、連続性を持たせるために66歳以上についても触れておきたい。一人一律240万円を最低限の年金、または年俸として国、または企業が状況に応じて負担する。それ以外の上乗せとしての厚生年金・企業年金または年俸は、可能であれば各企業負担で行う。定年というコンセプトそのものを無くす。

 具体的な数字を当てはめてみよう。

 35歳であれば35×10×1.5となり、525万円の年俸が保証される。共働きをしていれば1,050万円となる。(共働きによる、女性の職場復帰または就業の継続は本稿のメイントピックではないが、機会があれば別のところで触れたい)

 この525万円を支払う負担の内訳だが、国と企業での折半となる。262.5万円を企業、262.5万円を国が負担ということだ。企業の負担が262.5万円であれば、あながち非現実的でもないが、国の負担の262.5万円の財源についてはその根拠が必要だ。本稿ではその根拠の試算は出さないが、試算はしている。

 この年俸は「最低保証」であるから仕事の成果が上がっているか、リーダーシップはあるか等、個々人の査定はあるが、企業の規模や業界に関わらず、どこでどのような仕事であっても保証される。

 一方優秀な人物の場合はどうだろうか。自社に引き止めたい、または他者から入社して欲しいと思う人財の市場価値として、仮に年俸700万円に相当するとしよう。その時は、企業が700万円を提示して、最低保証の525万円からの差額の175万円は企業が負担する。実質企業負担は437万円となる

 50歳ではどんな状況だろうか。50×10×1.5×50%として、375万円が最低年俸保証となる。共働きをしていれば750万円だ。

 なぜ50%とするかというと、18歳〜45歳までは国が負担する分の50%が、46歳以降は無くなり、年俸については企業だけが負担するという意味だ。もちろん、引き止めたい人財であればプラスアルファを企業が払えばよく、優秀な人財として他社から来てもらいたい場合は全て自社負担で市場価値に準じた金額を全て企業負担として提示すれば良い。

 66歳以上の年金については、一旦提示したが別の機会で考察することとしたい。メッセージとしては夫婦二人を合わせれば年金額である程度の生活ができる金額、かつ就業できる状態であれば最低保証年俸があるという方針だけを提示しておく。

 さて、こうした制度を作った場合財源はどこにあるのか。

 この最低年俸保証は、ある種失業者を極端に減らすという意味合いがある。年金も構造をシンプルにする。結果社会保険庁、厚生年金基金等膨大た官僚組織を一気に簡素化することで捻出できる部分も相当あるだろう。

 加えて、この仕組の中で競争意識と同時に、完全に失業することへの不安を解除することで、安心して工夫やサービスレベルの向上など、価値を生むイノベーションに取り組む方向性を創れるのではないだろうか。

 財源を心配するよりは、こうした制度から生まれるイノベーションによる価値の創出を前提とする財源は、危ないと思われるだろうか。しかし、企業経営の中で行き詰まることがわかっていながら縮小均衡のコスト削減をして、価値を創出するどころか破壊して、ついにはこの世から消えてしまう企業を何社も見てきた。それよりは、本質的に企業が取るべきリスクを取れるようにすることのほうが必要なことではないだろうか。

 最低年俸などで保証すると、逆に勤労意欲が落ちるという考え方もあるだろう。しかし、実際に行われた同種の社会実験では、人間は働かなくても良い状況であったとしても、自分の社会的帰属集団に対して価値を生む行動を取るものが大部分だという結果もあるときく。

 今でも企業内では職にしがみつくことのためだけの状態になっている非付加価値勤労者は存在する。割りきって考えれば、雇用というよりは個人の生活を保証してくれる年俸があることで安心し、人間に内在するイノベーションへの衝動や、同胞・地域コミュニティーや国に対しての貢献ということに準拠した運営をすることが必要なのではないか。

 筆者は、こうした状況では、年功序列というよりは、誰ができるのか、という本質的な意味での昇進・昇格が可能になると思っている。同様に、男女の違いも限りなく本質的な議論としては解決されるのではないかと考える。

■どのような行動をとることになるのか

 この最低年俸の保証により起こると、筆者が期待している行動の変化を説明しよう。

 恐らく45歳までの間で、以下の様な思考と行動がされるのではないか。

 最も大きい変化は45歳で起こる。説明したように、46歳で国が負担する50%が無くなるからだ。45歳まではだれでも675万円が保証されていたのだが、翌年からは345万円となる。ほぼ半減だ。これが突然実施されるわけではなく、全ての勤労者に対して公知の制度として展開されていたと仮定しよう。するとどうなるか?

 業務に関わらず、自分の真の実力とその実力に対して支払われている一般的な市場価値を意識するような働き方を、30代くらいから意識するようになるだろう。

 仮に勤務先が、30代後半くらいから勤務を継続しても、最低保証以上の年俸はだせないというメッセージを送っていたらどうなるか。その場合は、少しでも最低保証年俸よりは高い職場を、46歳を待たずして社外に機会を探すようになるのではないか。

 結局2つの選択しかなくなる。同じ勤務先で報酬と待遇ダウンを受け入れるか、または多少なりとも多い報酬や良い待遇を提示してくれる企業を先に見つけるかのどちらかになる。

 既に転職市場では40代の転職の活性化が見られるという。実はこうした最低保証年俸という仕組がなくとも、役職が上がらない現状では同じような状況になっている。違いは、企業側が40代後半以降の待遇について、全く明示しない雇用慣行であることだ。

 これが成長期に作られた年功序列と長期雇用の罠だ。長期雇用により、多様性というよりは、個々の企業の風土文化が優先し、企業特有の社内人間関係や業務経緯をより多く必要な人が評価され、30代で「俺もまだまだ行ける」という幻想を抱かせることで、やる気やモチベーションを引き出していた古い運営だ。

 ところがこうした会社が今、一斉に「ごめん、あなたの仕事、もう無いんだわ。評価さえもできない」と言い始め、人事部付の「追い出し部屋」に社内転職を強要をするような時代だ。これがフェアといえるだろうか。それよりは、45歳での最低保証年俸半額、それを全体で制度化しながら、次のステップを見つけることを制度化するほうが、国全体として必要な産業や職能への移転を促進できるのではないだろうか。

 この動きは結果的に、そこそこの規模の企業の経営者や役員=50代以上という日本の状況を、45歳に節目を置いたキャリア形成を描くことで、同じ企業に残るにしても、46歳になる前に転職するにしても、日本企業の役員層、本部長層等のコアマネジメント層を、一気に40代と欧米並みに引き下げることができるのではないかと期待している。特にイノベーションを起こすこと、産業構造の転換を促進するためには有効ではないだろうか。

 国全体のコンセンサスとして制度化することで、勤労者側の視点では30代から自分の実力とその市場価値についての意識がより一層高められる。その時に重視する価値観は「会社が大切」ではなく「自分に何ができるか、やりたいか」というものだろう。適切に遇してくれる会社であれば、残ればよいし、そうではない場合は自分ができることを、出来る限り市場価値より高い値段で評価してくれる職場を探す。

 全体的には、産業構造の転換という大きな流れの中で発生する様々な新しい仕事や、逆に不要になっていく仕事が需給に反映され、一方で最低保証でも夫婦二人で仕事をすればある程度の暮らしはなんとかなる、というラインを設定することで女性の社会進出も、形だけでなく意味を持ったものになり経済規模の拡大にも貢献する。気になることは少子化へのインパクトだが、これもまた別の機会を頂ければ私案を提案したい。

 こうした状態では、30代以降は社会人インターンのような制度が必要になるだろう。40歳定年制をいう本を書いた柳川範之氏は、マネージメントスキルという表現で、個別ビジネススキルだけでなく、集団や組織の目標達成を可能とするスキルを獲得することを提唱する。全く同感だ。現存企業に在籍しながら、雇用側も了解の上で他者へのお試し期間を設ける社会人インターン等の考えを含めて、別の機会でこうしたスキルをどうやって30代で身に付ける事ができるのかを論じてみたい。

 さて、ここまでの説明の大半は優良企業(よく知られた大規模企業)と、今後の成長を担う急成長企業(まだ知られていないし、待遇一般も優良企業よりはまだ低い)にいる、正規社員が前提になっている側面はある。正規雇用と非正規雇用については、大変多くの議論があり、本稿を書きながらも非正規雇用者についての考えを別にまとめる必要があるということは理解しているつもりだ。乱暴に言えば、同一職務で同一賃金ということは、この最低保証年俸は正規雇用か非正規雇用に限らず適用したいところだが、この点については実際に成り立つ制度とするために必要な課題を具体化する必要があるだろう。

 本稿では、一旦ここまでとする。ご興味をいただけるようであれば、次稿にて大企業でも優良企業でもなく、普通の中小企業や、仕事内容もいわゆるホワイトカラーではなく、現業のブルーカラーという層や、非正規雇用についても、本稿で論じた最低保証年俸がどのような効果を上げる可能性があるか論じてみたい。

 特に非正規雇用については、全体の雇用の4割程度が既に非正規雇用となっている実態がある。しかし、その経緯や内訳についてはまだ標準的な議論の枠組みができていないと感じている。本稿では一旦考え方の提示ということで、正規雇用を前提においており、冒頭に触れたように計算の係数についてはあえて単純化している。

 また、生産現場や流通業などでの販売・サービスの現場が今まで日本経済における大きな価値を生み出してきているという現実についても忘れてはならない。手前味噌ではあるがこの最低保証年俸の仕組みにより、プライドを持つだけでなく、尊敬されるブルーカラーの復権と、その現場からのイノベーションの可能性を現実的考えることが可能になるのではと感じている。

 一旦ここで終了とする。賛否両論あろうかと思うが、是非様々な問題意識を寄せて頂きたいと願っている。

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