ネット証券の下地は、実は日本でも編み出されていた!?

2022年7月5日 08:03

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 三井住友FGがSBIHDの第三者割当増資を引き受け、約10%の株を保有する。議決権ベースで、SBIHDの実施的な創業者:北尾吉孝社長の保有分約1.5%を上回ると言う。狙い・双方の効果はメディアが詳細に論じているので省くが、一口に言えば三井住友FGの「ネット証券機能強化」。

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 単純比較は出来ないが、総合証券の保有口座数は1位の野村證券で約535万口座、5位の三菱UFJモルガン・スタンレー証券で約120万口座。対してネット専用証券では1位のSBI証券が約802万口座、5位の松井証券で約138万口座。ネット証券伸長の背景は、口座開設者の大方が20~30歳代。次世代を担う投資家層だ。三井住友FGの狙いも頷ける。

 株式の売買手数料自由化に照準を合わせ日本にネット証券を実現したのは、松井証券社長(現顧問)の松井道夫氏。その松井氏が語っているように「ネット証券自体はアメリカから持ち込んだ」もの。

 だが実はネット証券には、日本の証券会社にも「前史」がある。

 1983年の半ば、日興証券(現、SMBC日興証券)経営開発部の若手課長が米国に遊学した。期間は2週間。証券会社・商業銀行・投資銀行を回った

 ある中堅証券を訪れた際に彼は、「独特の営業体制に目を奪われた」と言う。店舗営業、人海戦術の営業は切り捨てられていた。営業対象は中堅中小法人・一定水準以上の資産家に絞られていた。営業展開はパソコンを介して行われていた。顧客はこの証券会社のホストコンピュータに直結したPCを家に、会社に、車の中に持っている。PCを介し「投資情報」が得られ、「売買注文」も全てPC操作で行う枠組み。責任者は彼にこう言った。

 「我々のような中小業者は、全国に店舗を張るのは無理。と言ってローカル営業では扱える金融資産も限られてしまう。それをカバーしてくれるのが、パソコンホームトレードだ」。

 若手課長は衝撃を受けるのと同時に、頭の中で「日本の個人の金融資産も年々拡大している(当時で平均820万円余り)。銀行や生保との争奪戦が必至だ。だが証券の弱点は店舗数。第一勧銀(当時)で360店余りに対し野村でする120弱に過ぎない。パソコントレードが日本でも可能だったら・・・」という思いがぐるぐると回っていた。

 帰国後、その驚き・思いをぶちまけた。経営開発部の誰もが、大きく頷いた。が、未だパソコンの普及は数歩歩み始めたばかりの状況。話は空回りするだけだった。

 翌84年に「ホームトレード」の虜になり実現に「執念すら」覚えていた、件の課長が目をつけたのがプッシュフォンだった。日本の電話もダイヤルフォンからプッシュフォンにシフトしていた。『NTTのデータ通信回線を利用し、契約者のプッシュフォンを日興証券のホストコンピュータと直結させるんだ』。ホームトレードワンと名付けられたこの枠組みは「株価の紹介・売買注文の発注・確認・売却・口座残高確認」が84年9月に実施に至った。

 特許ではない。大手各社が参入した。と同時に「独自の枠組み」が模索された。例えば野村證券では“マリオブラザーズ”で一躍注目を集めることになった『ファミコン』に着目し、ファミコントレードを生み出している。

 日本にもパソコン証券の素地は、存在していた!?(記事:千葉明・記事一覧を見る

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