100年企業:キユーピーのミニ足跡史

2021年3月8日 17:16

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 マヨネーズで馴染みの深いキユーピーは、今年で創業102年目を迎える。100年企業の足跡を知りたくなった。

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 創始者は、缶詰を学ぶために米国に渡った中島聡一郎氏。缶詰の勉強が主のはずだったが・・・、出会い・魅せられたのがマヨネーズだった。米国人は好んで、ポテトサラダをはじめ野菜サラダを食していた。調味料の主役はマヨネーズだった。

 帰国後の1919年に、前身の食品工業を設立。缶詰事業と取り組む傍ら、中島氏は日本には未だ存在していなかったマヨネーズの開発挑んだ。日を重ねるうちに「思い」の比重は、マヨネーズに傾斜していった。そしてついに、25年3月に国内初のマヨネーズの製造に踏み切った。

 「関東大震災(23年)を契機に、立ち直る過程で街には西洋文化の波が押し寄せてきたことに背中を強く押されたようです」と、キユーピーでは語る。初年度の売り上げは約600kg。マヨネーズの存在が全く知られていなかった時代であり、整髪料(ポマード)と間違えられたといったエピソードも残っている。

 調べていくうちに、初期の段階でのこんな出来事に接し「100年企業の原点」を垣間見た気持ちになった。製造を中止している。41年には世間に知られるようになり年間出荷量が約500tまで伸びていた直後のことだ。第2次世界大戦で、マヨネーズの原材料「卵黄」が入手し難くなった。そんな状況下で「良い原料がなければ作るべきではない」と、製造停止の断を下したのである(再開は戦後48年)。

 調べを進めていくうちに、いくつもの興味深い事実に出会った。例えば以下のような具合だ。

★現社名への変更は、1957年。米国のイラストレーターが、神話に登場する恋愛の神様キューピットをモチーフに描いた人形(キユーピー)が大人気になっていた。中島氏の大学の先輩による「マヨネーズも米国産、キユーピーも米国産。キユーピーを社名にすべきだ」という箴言で決まったと言う。いまマヨネーズの入れ物の「キユーピー」にはキューピットにちなみ、天使の羽がついているのもそうした背景から。

★製造に関しては諸々の研究がなされてきたが、量産化の契機となったのは87年の「割卵機(毎分600個の卵黄作りが可能)」に象徴的。

★マヨネーズには保存料が使われていない。含まれている酢・食塩に防腐作用があるから。ちなみに食塩量は15g当たり0.3g。いわゆる「減塩食品」。俗に言われる「小さじ一杯(0.5g)」よりも少ない。

★マヨネーズは鳥インフルエンザウイルスを不活性化させる。

★2007年にはJAXA(宇宙航空研究開発機構)が初の「宇宙日本食」を定めているが、マヨネーズも認証された。そして09年に宇宙に飛んだ若田光一氏、昨年の野田聡一氏が帯同している。

 記しだしたら、きりがない。100年企業にはそれなりの足跡が残っているものである。

 ちなみに21年度から24年度の中計では、「成長のドライバーを中国・東南アジアを核に北米の強化を図る」と謳っている。米国から仕込んだマヨネーズを、米国での販売に注力すると言うのだ。キユーピーの恩返し!?(記事:千葉明・記事一覧を見る

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