窮地に追い込まれた三菱スペースジェット (1) 名称変更でイメージアップ狙ったが!

2019年11月8日 12:26

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「スペースジェット」(画像: 三菱航空機の発表資料より)

「スペースジェット」(画像: 三菱航空機の発表資料より)[写真拡大]

 民間旅客機「スペースジェット(旧MRJ)」を開発中の三菱航空機(愛知県豊山町)は、初号機の納入時期を延期止む無しと判断したようだ。延期が決定されると、通算6度目になる。

【こちらも】三菱航空機が「MRJ」から、「三菱スペースジェット」に転換するワケ(3-1)

 2008年に三菱重工が開発を決定したMRJ(当時)は、翌2009年に「主翼素材などの変更」で初号機の納入延期を発表して以来、2012年・2013年・2015年と4度に渡る延期を繰り返しながら、2017年に配線などの設計変更が必要として5度目の納入延期を発表している。

 さすがに5度目の納入延期を発表した際の危機感は強く、2017年4月に「20年半ばの納入開始」という最重要課題を背負って三菱航空機の新社長に就任した水谷久和氏は、「最優先は納入スケジュールを守ること」と強調していた。

 新社長の晴れ舞台が悲壮感漂う決意表明の場になったのは、多額の開発資金を投入しながら回収時期が見えないことに対する危機感もさることながら、納入が遅れることによりそれまで積み上げた受注契約が維持できるのかという懸念が膨らんだためだろう。

 何しろ当時400機を超える受注を数えていたMRJだったが、半分程度はペナルティ無しでキャンセルが可能なオプション契約だったと見られており、納入時期の延期を繰り返す三菱航空機がキャンセルに異議を唱えることは難しかったからだ。

 米イースタン航空の発注による40機がキャンセルとなった2018年1月に、不安は現実のものとなった。キャンセル理由は、イースタン航空が経営不振により米スウィフト航空に事業を譲渡したものの、米スウィフト航空にはMRJの購入を継承する意思がなかったためだ。納入の遅れが直接の原因でなかったことがかすかな救いだった。

 2019年6月には、納入延期が続いてイメージが大きく低下していたMRJの名称を、「三菱スペースジェット(MSJ)」へと改称した。

 その時点で三菱重工は、(1)スペースジェットM90(90席級・旧MRJ90)の型式証明(TC)を取得すること、(2)カスタマーサポート体制を構築すること、(3)量産体制を整備すること、(4)スペースジェットM100 (70席級・旧MRJ70)の開発を進めることを、航空機事業の4本の柱としていた。

 20年半ばの納入開始という目標は、2020年の東京五輪・パラリンピックの空にMSJの雄姿を飛行させて、一気にイメージアップを進めることにあった。

 三菱航空機は9月6日、米メサ航空とスペースジェットM100 (70席級)を100機受注する協議の開始を発表した。1機当り約40億円で総額約4000億円規模になることが見込まれ、納入の開始は2024年を予定しているという発表だった。航空機事業にやっと順風が吹き始めたかと期待させる情報だった。米地域航空会社のトランス・ステーツ・ホールディングス(TSH)が100機ものスペースジェットM90の受注契約を解消するまでは・・・(2)に続く(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る

続きは: 窮地に追い込まれた三菱スペースジェット (2) 契約解除が先行、新たな契約は進まず!

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