【宮田修 アナウンサー神主のため息】日本人にとって水の役割を思う

2015年2月28日 21:56

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記事提供元:日本インタビュ新聞社

■古来より清らかな自分に戻るために水の力を借りるのです

 駅のお手洗いに行くと、私は、アナウンサーの現役時代から必ずうがいをしていました。風邪をひきたくなかったからです。ガラガラ声でマイクに向かうわけにはいきません。引退しても悲しいかなその習慣は続いています。

 勢い普通の人より滞在時間が少し長くなります。周囲を横目で見ていて驚いたことがあります。用を足した後、手を洗わない人がいるのです。それも一人や二人ではありません。密かな観察によれば、10人のうち3人から4人は洗面所に寄ることなくトイレを後にしています。びっくりです。

 そこで私は考えました。手を洗わないというのはある意味、“合理的”かも知れないのではないかと。なぜなら我われ男性の場合、自分自身の肉体の一部にしか触れていません。それならば特に汚れることはないので特に手を洗浄する必要もないかも知れません。論理的には正しい。ではなぜ日本人は、お手洗いのあと手を洗うのでしょうか。

 50歳を過ぎて老神主の懇請を受け私は神主になりました。神主になるための勉強の中で初めてその、“なぜ”を知ったのです。古来日本人は、水には汚いものを洗い流す、“霊力”があると信じてきたのです。洗うことによって本来の清らかな自分を取り戻すことができると信じてきたのでした。

 神社には、“手水舎”があるのをご存知だと思います。お参りをする前に必ず手を洗い清め、口を漱ぎます。これこそが水の霊力を信じる行為なのです。我が国の神話にその由来がきちんと記されています。死者の世界を訪れたイザナギノミコトが穢れを祓い通常の自分に戻るために水に浸かり禊ぎをするのです。日本人は、清らかな状態が好きなのです。そこに戻るために水の力を借りているのです。

 1日中トイレの中にいなさいと言われたら誰でも厭です。しかし、生きている以上、1日に何度かは行かなくてはなりません。日本人は、“普通”の状態を好みます。普通に戻るためのいわば儀式が手を洗うということなのだと私は思います。

 お葬式に参列し家に帰った時は、塩でお清めをします。神社で御祈願をする際、白い房のようになったもの―大麻(おおぬさ)で左右左と神主にお祓いをしてもらいます。6月と12月の晦日(つごもり)―最後の日に神社では大祓式が行われます。こうしたことはすべて清らかな自分を取り戻すために行われるのです。

 人間は気をつけていないとその心の中に、“動物の野生”が芽生えてしまうのです。怖いことです。それを戒め神さまのお心に相応しい人間になるためにふと立ち止まって自分を振り返ることが求められるのです。

 余談になりますが、うがいをお勧めします。私は1日に5回から6回、多い時には10回以上うがいをします。アナウンサーをしていた39年間、おかげさまで自分の体調を理由にニュースの番組を1度も休んだことがありません。私の密かな自慢です。今振り返りうがいのおかげと感謝しています。(千葉県長男町の宮司、元NHKアナウンサー)(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media-IR)

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